雑記

思考の振り幅の話

2017/11/05


Amazon で『突入せよ!「あさま山荘」事件』を見たのさ。役所広司は最近どの邦画でもよく見かけるな(笑)。

で、それに関連して、Wiki で「あさま山荘事件」や「山岳ベース事件」の項目を読んでみたんだよね。

■あさま山荘事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%BE%E5%B1%B1%E8%8D%98%E4%BA%8B%E4%BB%B6
■山岳ベース事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B2%B3%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E4%BA%8B%E4%BB%B6

いわゆる「極左」の人の話だよ。わかりやすく言うとテロリストだな。

んで、読んだ感想としては、「すげー馬鹿馬鹿しい」っていう。日本赤軍の成り立ちとかがわかって、そういう意味では「はーなるほど」と思ったんだけど、こういうテロリストや活動家の行動理念や事件に至った背景については、「1mm も共感できない」っていうね。あ、映画の方はけっこう面白かったよ。邦画にしてはちゃんと作られてた。

学生運動世代より前の世代のうちの父親が昔 60-70 年代の学生運動について「あんなの馬鹿馬鹿しくて見てらんなかったね」「ガキのママゴトだよ」と言ってた理由が、今にしてなんとなくわかったかもしれない(笑)。

そうは言っても、日本で共産革命を起こすべく当事者はそれなりに必死だったんだよね。仲間を何人も殺してでも「革命」を成し遂げたかった、あるいはそれに至る筋道をつけたかったんだろう。

しかしながら、その「『革命戦士』であるために理屈」ってのがものすごく難解なんだよね。当時ですでに 1 億人からの日本人がいただろうに、仲間内ですら解釈が分かれたり理解できなかったりするような代物を、いったいどうやって広めるつもりだったのかね。

まあそのへんが学生運動の「至らなさ」だよね。全体主義的、独善的、エリート主義的なところ。少数の指導者が哀れな「労働者」を指導して革命を成就しようっていう。テロ思想なんかに染まらなかった大多数の一般の日本人を馬鹿にした話だわ。

思考の外にあるものを理解する難しさ

おれはこの「共産革命志向者」の考えがさっぱりわからなかったんだけどさ、これを一般化すると、わりと有る話だったりする。

憲法に関する昨今の議論の過程で、多くの憲法学者が現行の憲法の条文の外には出られないことが露呈した。これは彼らが現行憲法の外にあるものを見ることができないことを示している。

音楽業界、バンド界隈にもいるじゃん、ギター弾かせるとすげえんだけど、ギター持ってないとホントにダメなやつとか。そいつが何を考えてギターから音楽を拾い出しているのか、あるいは何を理想としてそういう音を出しているのかなんてこっちにはわかんないわけよ。

結局、人間はそれぞれの思考で理解できるものしか理解できないんだと思う。その範疇の外にあるものについては、「おれには関係ない」と思うか、あるいは「理解できないもの」として記憶にとどめない。せいぜい「理解できないもの」カテゴリに入れて蓋をしてしまうくらいだな。

そういうものが、多分世の中には沢山あるんだと思う。思考版「シュレディンガーの猫」かな(笑)。そういうものがあるかどうかわからないけど、あるともないともいえる。それに出会うまでは存在しない。出会ったらその時点であったことになる。

「考えたこともなかった不可思議なもの」にある時出会う。あるいは今まで想像もしなかったような素晴らしい作品、小説なり映画なり音楽なり、に出会う。そうすることで、そういう発想や思考があることを知る。そしてそこに至るまでの道筋をたどってみる。知らなかった時に比べて、今度は行く先が見えているから比較的たやすい。「理屈としてだけは」にしろ理解の道筋をつけることができる。

そうやって、ゆっくりと、時間はかかるけれど、自分の思考の及ぶ範囲を広げることができる。その点においては「知らなかったものを知る」ということは全く悪いことではない。仮にその至る先が「共産主義革命」だったとしても。

むしろ、その過程は楽しい。新しいことの発見だし、知的好奇心を満たすことができる。

一方で、今や個人が人類数千年の英知の蓄積の上に生きているのに比べて、人間一人が何十年かかけて見聞きできることなど、高が知れている。だいいち今の最先端に生きているわけでもないし、あらゆる分野を網羅することもできない。

そういう意味では、「知らなかったもの」というのは常に存在する。宇宙の成り立ちとか、深海の未知の生物とか、あるいはアフリカのとある部族だけがやっている魚の獲り方とか。まあこういうのは知識の部類なんだけどさ。

思考、思想の面でも同じじゃないかな。想像を絶する極端な考え、あるいは変わった考えを持った人がいて、「ワタシの言うことを実践すれば、世の中劇的に良くなるのだ~」という人がいたとする。

「いや、あんたそれ 1 億パーセント間違ってるよ」と言うのは簡単で、それがどのように間違っているのか、までは多くの人が指摘できる。じゃあ「どうしてその人がそんなトチ狂った (とこちらには思える) ことを言うようになったのか」まで追求する人は少ない。個人の背景に絡むことだから探ったところでしかたがないというのはわかる。いつの世も狂人は一定数いるものだとしても。

それを「狂人」というのは容易いのだけれど、ただ、それはそれとして、同じ国の中に、自分と同じような教育を受け、似たような社会環境の中で生活してきて、ここまで隔たりのあることを言う人が現れる素地がある、ということは、体の深いところに響くような、妙な驚きがある。

他方、時間と労力は有限なので、そんな偏った思考に自分のなけなしのリソースをつぎ込んでまで、その思考をトレースする必要があるか?というジレンマは常に存在する。先述の「革命思想」にしろ、当時ですらごくごく一部の人間にしか支持されていなかったわけで、そんな偏った (そしておよそ無益と思える) 思想を掘り下げて行って一体何が得られるだろうか。それが失敗するべくして失敗したのは、既に明らかなのに。

それはそれとして、その偏執狂的偏り具合に、一定の興味もある。まあこれはただの野次馬根性かもしれない。だいたい、ちょっと覗いてみたいんだよね、で済めばいいけれど、大真面目に踏み込んでいくと、そこに自らはまり込んでしまう可能性もある。深淵を覗き込むとき、深淵もまた...っていうアレだ。

まあ要するに、世の中色んな人がいて、その「色んな」の外に、またもっと沢山の種類の「色んな」人がいるんだろうってことだわ。だから最近新しく人と出会うことが楽しいんだよね。音楽界隈、変わった人が多いからさ(笑)。

それにしても、過去のことを調べていくにつれ、昭和の日本ってアカいよな~と考えさせられる。よくこれで革命が起きなかったもんだと思う。まあ「最も成功した社会主義国」なんて皮肉もあるくらい (皮肉じゃない説もあり) だから、ある意味成功していたのかもしれない。そしてそのせいでいまだに保守派が苦労しているっていうね(笑)。

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