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蘇る三島由紀夫


明日 11 月 25 日は、作家の三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自決をした日、つまり三島由紀夫の命日ということになる。時に昭和 45 (1970) 年のことだった。

個人的には、三島と言えば、「金閣寺」とあと 1-2 作読んだだけなので、作家としての彼を論評する立場にはない。

今日はその三島が市ヶ谷で頒布した檄文を紹介する。福岡県行橋市議会の小坪慎也議員のブログに全文が掲載されているので、それを引用する。

■【憂国忌】新嘗祭、今日この日に国を憂う。三島由紀夫烈士の言葉を振り返る。
https://samurai20.jp/2017/11/yuukoku-h29/

このリンク先に三島の檄文の全文が引用されているが、他の箇所も興味がある人は読んでみると良い。

なお、三島の檄文に登場する「縦の会」とは、三島由紀夫が当時自衛隊の協力を得て組織していた私的軍事訓練団体のことだ。彼の檄文を理解するには、縦の会についても多少知っておいた方が良いかもしれない。

今なお残る三島からの課題

さて。

昭和 45 年といえば、終戦から 20 年、占領解除から 13 年、東京五輪から 6 年、大阪万博開催の年だ。高度経済成長期に入って久しく、GDP は当時すでに西ドイツを抜き世界第二位にまで躍進していた。

社会の人々はまだ戦前戦中世代が大半だったろうが、一方で若者世代は戦後生まれが増えてきた。そして日米安保を巡る学生運動などが激しさを増していた時期でもある。ちなみに先日本ブログでも取り上げたあさま山荘事件は、この 2 年後に起きる。

聞くところによると、三島が市ヶ谷駐屯地の建物のバルコニーで演説を行った時、それを目撃して取り巻いていた当の防衛庁 (当時) の職員、自衛隊員から嘲笑うような野次が飛んだという。なんという孤独であったことだろうか。

彼の檄文では、憲法と自衛隊の矛盾点が鋭く指摘されている。現行憲法の矛盾、国防軍を持たない主権国家の無責任な体制を痛烈に批判している。が、当時その場での賛同者が現れることなく、三島は縦の会メンバーの森田必勝 (まさかつ) とともに切腹して果てた。

このいわゆる「三島事件」そのものについての賛否は色々あるのかしれない。しかし、彼が檄文、あるいはバルコニー上からの演説、そして自決直前に雑誌記者に託した告知文で指摘した憲法と自衛隊の問題点は、彼の意に反してその後さらに半世紀放置され続けた。

教科書にも載っているような作家がこのような事件を起こした挙句に割腹して死んだという三島事件について知った時、日本で最も高名な作家の一人とクーデターを使嗾したとも言われる事件を起こした人間との整合性が取れなかった。

三島事件を間接的に伝えるメディア、書籍などの記載からでは、彼が訴えたかったことは伝えられていなかったからだ。だから 20 世紀のおれは、三島のことを「なんとなく悪いヤツ」「作家としてはともかく政治的には街宣右翼と同様のわけのわからない人」というような認識だった。

ところが、ネットで情報が検索できるようになり、三島事件の詳報を再見すると、その本質は全く別のものであることがわかった。同時に、彼が世に問うた問題意識が今なおほぼそのままの形で残されたままであることもわかった。

三島は檄文の中で「国軍」とか「歴史と伝統の国」という表現を用いているが、その意図するところは、決して懐古趣味、復古主義ではない。シンプルに「自分の国は自分で守れ」と言っているだけだ。

三島事件と拉致事件

「自分の国は自分で守れ」この当然で簡単な理屈が世に広まるまでに、三島の死から 40 年を必要とした。もはや憲法改正の流れは不可避であろうが、自衛隊の国軍化はまたさらにその先だろう。

一方で単に憲法に「国防軍を持つ」と書けば名実ともに国防軍になるかと言えば、ことはそう単純でもない。社会の認知、予算配分等を含む政治的な地位の確立、なにより本当に「実力」で国民を守護できる実力。こういったものがなければ、憲法典上の文字としてのみ国防軍が存在したところで、大した意味はない。

平和国家、平和憲法と言うが、その平和国家から国民が拉致されて外国に連行されて拘束されている。平和憲法は平和をもたらすどころか、拉致事件の解決、つまり実力による被害者の奪還を妨げていないか。

被害者である横田めぐみさんの両親の横田夫妻は既にお二人とも 80 歳を超えている。特に父親の横田滋氏は老衰がすすみ、最近では公の場所に姿を見せなくなり、自らの力で食事がとれないようになったとも伝えられている。

横田夫妻に何の罪があって自分の娘が北朝鮮に拉致されたまま 40 年を過ごさねばならないのか。横田めぐみさんは何の咎で北朝鮮に拉致されて 40 年を過ごさねばならいのか。人生の大半をスパイの教育係として過ごさねばならないのか。

三島の声が社会に届いていれば、拉致事件は起きなかったかもしれない。しかし、その声は届かなかった。メディアは取り上げたかもしれないが、政治家は動かなかった。国民もそういう政治家を選ばなかった。結果として、何十人か何百人かの、いまだに正確な人数もわからない数の国民が北朝鮮に拉致された。

このまま拉致事件を放置し続ければ、拉致被害者も年を重ねて客死してしまう。そうなれば、「隣国に国民を拉致されたまま見殺しにした、近現代史上最も無能で情けない国」という烙印を永久に押されてしまう。平和国家、平和憲法が聞いて呆れる。

「最重要課題」と自民党が位置付けるように、拉致被害者の奪還は全てに優先する。なぜなら主権国家の第一義は「国土と国民の安全の確保」だからだ。それができなければ主権国家たる存在理由を失う。

そのためには必要な措置は全て取らねばならない。それを妨げる憲法であれば改正するのが理屈と言うものだ。それでも憲法を変えてはならないと言う人は、「運悪く北に拉致された人は、そのまま死ね」と言っているのと同義だということに、まず論理的な反論をしてもらわねばならない。

そろそろ偽物の平和は終わりにしなければ。魂が死んで肉体だけ生きたところで大した意味はない。

最期に三島の遺志を伝える記事をもう一つ引用しておく。今なお一読の価値があると思う。

■三島由紀夫 「からっぽ」な時代での孤独 (産経ニュース)
http://www.sankei.com/life/news/141009/lif1410090019-n1.html

三島の言う「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。」これになってはいけない。

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