社会

多様性を言いながら他者を叩く非多様性


多様性多様性と昨今世間がかまびすしい。

多様性とはいろいろってこと。いろいろってことは、自分が好きじゃないものもいるってこと。

最近の言論を見ていると、「『多様性なんて認めないね』と言うことを認める多様性」が失われつつあるように思う。

多様性、というからには、自分が絶対に相いれない意見の人がいることも容認しないといけない。そうじゃないと多様性じゃない。

多様性とは寛容であることでもある。

誰しも誰かの意見に対して「お前の意見が気に入らない」という権利はある。ただ、「お前の意見は間違っている」はともかく、仕事辞めろだの社会に詫びろだの、果ては殺害予告やデモ起こすとか。

ちっとも多様性を認めてないよね。

多様性と言いながら、あるところで線引きしてませんかね。ここから先は認めないって決めてませんかね。それってちっとも多様的じゃないよね。むしろ全体主義的になってませんかね。

多様性を言いながらやってることは思想統制なんて笑い話にもならない。

多様性と言うからには、あなたの意見はわかった。対して私の意見はこうだ。ところでここにこういう課題がある。これについて何をどうするのかが最善かすり合わせをしよう、となって然るべきだろう。

ネット上の言論は、よほど長文でない限り、思うところが伝わりづらい。それに対して叩く方は簡単だ。言葉尻を捉えて「こいつはこんな間違ったことを言っている」とさらし上げればいいのだ。

またそれに対して安易に賛同...というか便乗してくる者もいる。

世の中絶対に間違っていることなんてそうそうない。あったとしてもその多くは法律でこれをやったやつは罰すると決まってる。

行為においてだけでなく、言葉や意見においても、全体的には間違ってるけれどこの部分は正しいとか、おおむね正しいことを言っているけれど、この部分には賛同できないということがある。

ただそれは、ある程度時間をかけて話を聞くとか、四桁の文字数で論述を読んだときの話で。

そういう意味で、Twitter って議論に向いてないなあと思う次第(笑)。

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