政治

八月十五日に


八月十五日が何の日かと言えば、終戦の日、だ。

近ごろ思うのは、とにかく戦争には負けたらダメだってことだ。そりゃ自国だろうと他国だろうと、戦争が起きないに越したことはないけれど、どうしても避けられない場合もある。世の中話が通じる相手ばかりではないのだ。

どうしてもやるからにはとにかく勝たないとダメで、最低でも引き分け、つまり対等な講和に持ち込まないといけない。

そうでないと、他国に憲法を変えられたり占領されたり軍事基地用地の提供をさせられたりして大変なことになる。国際法違反の出来事も、戦争に勝ったから・負けたからというだけの理由でなんとなくそのままになる。そしてその影響は何十年も続く。

まだ十年経たないと思うが、毎年この日には、靖国神社に行っている。行き始めた当初は、なんとなく世の中への当てつけの意味がなかったわけではない。だがここ数年はもう気軽な墓参り気分だ。

だいたい靖国神社は都心のど真ん中にあるので、この日だけじゃなくて年に数回通りがかると簡単にお参りしている。暑い日には涼を採るのに向いている。

残念ながら7月は多忙なことが多く、みたままつりには行ったことがないし、例大祭にも足を運べたことがない。そういう意味ではニワカと言ってもらっても構わない。

確かに「靖国で会おう」が合言葉だった人もいるけれど、じゃあ一般の日本国民全員が靖国神社に詣でないといけないかというと、別にそんなわけでもない。各地に護国神社があるのでそれに参拝してもいいし、そもそも戦没者の慰霊に決まった形があるわけでもない。

慰霊の次を語ろう

「戦没者慰霊」「戦争の惨禍」この日を彩る言葉はたくさんある。確かに民間人含めて 300 万人死ぬなんていう日本の歴史上最悪の被害を出した。確かに戦争は良くない。戦死した人、戦争の影響で命を落とした人、たくさんの「もし戦争がなかったら」の人生があっただろう。その上に今の我々の生活が築かれている。

戦争を語り継ぐ、確かに必要だ。慰霊、そりゃそうだ。でも、だからこそ、「その次」を考えないといけない。「その次」というのは、将来、万が一、意に沿わず、外交努力もむなしく、外国との戦争になった場合、ということだ。

というか、そもそも、北は北方領土をロシアに占領されたまま、竹島は韓国に不法占拠されたまま、数百人が北朝鮮に拉致されたまま、尖閣諸島に中国が侵略の予備行動で領空領海侵犯を仕掛けてきている。むしろ軍事衝突が起きていないのが不思議なくらいの状況だと思うんだよね。

これで「平和国家」?「不戦の誓い」?いやいやちょっと待ってくれよ、北朝鮮に拉致された人はどうなるのよ。

そろそろ、いいかげん、遅きに失した感もあるが、目を覚ます時だ。

だいたい毎年この時期にこういうことを書くと、この人は好戦的だとか、戦争を煽っていると思われるようなんだけど、むしろその逆だ。おれたちの生活と家族と友人を守るために、きちんとした軍事力の整備が必要だ。勝手にこちらの領土に入って来られないように、奪われたものは取り返せるように、実力が必要だ。

軍備を捨てたら平和になるとは、まったく思わない。隣の国を見てみろ、毎日ミサイル作りまくりではないか。あまつさえこちらの EEZ に何発も打ち込みおってからに。

憲法で戦争を放棄したら戦争に巻き込まれないなんて、夢見すぎだろう。隣の国を見てみろ、毎年公式発表だけで軍事費を 10% 以上増やし続けているぞ。チベットとウイグルは侵略されて併呑されたぞ。

戦争を煽っている?これはただの事実だ。

やはり実力が必要だ

個人的には、シンガポールあたりまで日本の海軍が出張って行って、東シナ海、南シナ海丸ごと警備をするくらいやってもいいと思う。もちろん当該国の了承を得た上での話だが。東南アジアで、海賊行為や悪さする国 (一つしかないが) には、「ごるぁ!大人しくしねーとブチこむぞ!」というくらいでいいと思う。もちろん実際ブチこむ実力付きで。

昔「南シナ海情勢は日本には関係ない」と言った国会議員がいたが (今総務大臣やってるらしい)、そんなことはなくて関係大ありだ。日本の石油の大半は中東から来るわけで、その輸送ルートである南シナ海、東シナ海を不当に押さえられては、たちまち日本は干上がってしまう。補給を軽視して軍事は語れない。

隣の独裁国家二ヶ国を見てもわかるように、世の中話し合いの通じる国ばかりではない。力には力で対抗しないと、我々の権利は守られない。銃で脅してくる連中に「話し合おう!」とか「それ以上近寄ったら話し合うぞ!」と言っても無駄なことだ。

外交で解決とかいうのもそう。外交の目的は友好ではない。自国の利益の最大化だ。友好は副産物に過ぎない。だから、究極的には、他国を踏みにじってでも自国民の利益を確保する必要がある。他国をおもんぱかって自国民に損害を与えることは、政治には許されていない。その利害調整のために外交がある。

外交 = 友好と誤認されやすいのは、友好国とはお互いの利益を見出しやすいという点による。だがそれは必ずそうなるというものでもない。不当な要求は断固拒否しないとといけないし、こちらの利益のための要求は相手に呑ませないといけない。

そしてその外交を上手に進めるためにも実力が必要だ。軍事力を背景にしない外交は存在しない。今の日本だってそうだ。日米同盟、つまり米軍の軍事力を背景にしているから、世界に主要会議に参加して大きな顔をしていられる。在日米軍なしでは侵略されてオシマイだ。

そういうわけで、情報を個人が検証できる時代にもなったことだし、個人個人が政治と安全保障を考えて、より良い国にする必要がある。日本国民があんまりぼんやりしていて領土を他国に奪われましたでは、先の戦争で命がけで戦った人たちはそれこそ犬死ということになってしまう。

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