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「超絶宗教国家日本」のクリスマス


毎年のことながら、クリスマスというのは日本人の宗教観を測る上で、非常に面白いと思っている。

日本における外来のものの摂取は「換骨奪胎」のフィルターを通る。つまり、「やりたいことはやるがやりたくないことはやらない」ということだ。いいとこ取りってことだな。

というのも、日本には既に収穫祭も春分秋分冬至夏至の行事もあるからで、今さらやらんでもいいでしょ、という気分が働いているのではないかと推測している。

そもそも既に日本には神道と仏教がごっちゃになった、なんとも言えない独特の宗教観があるので、今さら異国の神様がつけ入る余地がない。

なにしろ「よくわからないものはみんな神様」の神道と、日本に来るまでにヒンドゥー教やらなんやらの神様を取り込んで来た仏教の、そのまたハイブリッドなので、すでにごちゃごちゃだったりする。

そんなところにキリストさんが来たところで「なんかまた新入りが来たな。まあおあがんなさい。茶でも飲んでいくかね?」みたいな感じで、その他大勢の一人に矮小化される。

舶来の一神教が「うちは宇宙にただ一人の主をあがめております」と言ったところで、身の回りが神様だらけの日本人には理解されない。「まあそうは言ってもおてんとさまがな」という具合で、全知全能の創造主も八百万も神様のうちの一人になる。

これはもうほとんど反則みたいなもんで、何やっても最終的には神道という自然信仰が勝つようになってる。まあ、神道が宗教かどうかというのは議論がある。

なにしろ、経典がない、信徒が守るべき条文がない、信仰対象がきちんと決まってない。こんなものが「宗教」と言えるか?という。信仰対象は「拝みたくなったもの全部」だからね。

山も川も太陽も大きな岩も樹齢の古い大木も、全部信仰の対象になる。果てはトイレの神様とか、貧乏神と福の神のように抽象概念まで神様になる。業績を残した人が亡くなると神様になるし、最近では芸能人や優れた能力を持った人がネ申になる。これって宗教かな?(笑)

もう 21 世紀だというのに、いまだに「縁起が悪い」とか「バチが当たる」「おてんとさまが見てる」と言ったり、玄関に盛り塩したりする。結婚式は大安にやった方がよいとされる。初日の出はありがたい気がするし、おみくじひいて凶が出ないか気にしたりする。

そんなところに、「ワタシがすべてやってます。だからワタシを信じなさい」という外国の一神教が入って来たところで、「いや、だって受験の前には湯島天神行きたいし」という気分を覆すことは、まあほとんど無理だ。

今でも色んな新興宗教があるけれど、今後ひょっとしたら全く新しい宗教が起こるかもしれない。チップの神とか、AI の神とか、ウォール教とか、まあ色々余地はある。

だけどそれらも、結局「沢山いる神様の中の一人」に落ち着くわけで、神道が勝利し続けることには変わりがない。ひょっとしたらそういう枠組み自体を神道と言うのかもしれない。

だいたいマリア観音とか散多菩薩がいるところに、一神教は無理だわ(笑)。

というわけで、毎年恒例の散多菩薩動画をご覧いただいて、メリークリスマス。

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