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テレビの曲がり角


知ってる人には今さらの話だが、ようやく政府が放送法の改正に向けて本格的な検討を始めることになったようだ。

■野田聖子総務相、放送制度改革検討に慎重姿勢 (産経ニュース)
http://www.sankei.com/politics/news/180316/plt1803160007-n1.html

なんのことかと言うと、ざっくり言うと政治的公平性を求める放送法 4 条の廃止と現状新規参入がほぼ不可能な状態の規制緩和の二点が主題だろう。

(参考 総務省 e-Gov)
■放送法第四条
放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

これが実施されると、新規参入ができるようになるので、視聴できる局の数が増える。一方で政治的公平性を求められなくなるので、政治的に偏った放送をしてもお咎めナシということになる。

ちなみに選挙期間中の放送については、公職選挙法との絡みなのでまた別の話になるだろう。また、放送法はテレビ放送についての法律なので、新聞については初めからこの規制がかけられていない。

テレビの信頼性は誰が担保するのか

立法 (国会) と行政 (内閣) と司法 (裁判所) とは三権分立により相互に牽制しあう状況にになっている。

それとは別に、「政治と権力の監視」を「自任」するマスメディアがいる。

じゃあ、マスメディアの監視は誰がするのか?という話だ。

読売やフジ、朝日などのように、日本のマスメディアはテレビ新聞ラジオまでを一つのグループ企業が所有しているため、他ジャンルからの批判すら起こりづらいのが現状だ。

ネットによるマスメディアへのチェックが入るようになったのはここ 10 年程度の話だが、そもそもネット民は有志の個人なので、制度化されたものではない。

じゃあいいよ、政治的に中立でなくていいから、その代わり規制緩和して新規参入させるからお互いにどんどんヤリあえ、というのが今回の放送法改正と規制緩和の話のキモだ。

テレビの役割は変わりつつある

個人的な話をすれば、日がな一日 PC の前に座っている身としては、テレビがなくなっても特に何か困るということはない。ネット回線の方がよほど大事だ。

何曜日の何時に必ずテレビの前にいるというような生活はもう何年もしていないし、そもそもこちらの需要としてテレビを必要としていない。

自分が欲しい情報を、自分が欲しいタイミングで得ることに慣れてしまっていると、テレビというのは非常にかったるい存在だ。

地上波はどの局も同じような番組を同じ時間帯に流していて、同じタイミングで CM に入る。CM が明けたらさっきと同じ内容をまた流す。

こちらの欲しい情報はいつ提供されるかわからない上に、それらしい番組があったとしてもその掘り下げはたいてい期待よりずっと浅く、失望させられる。

それもそのはずで、テレビは「テレビ局が提供する情報」をシャワーのように広範囲に満遍なく流すことには長けているが、個人のピンポイントのオーダーに対応できるようにはできていない。

テレビは視聴者が受け取るもので、情報を主体的に検索して入手する人向けの情報ツールではないのだ。

ただ、その「情報を主体的に探す」ことに違和感を持たない人間の数は、今後増えることはあっても減ることはないだろう。

そういう意味では現状のテレビは確実に斜陽産業と言える。ビジネスモデルと提供内容の転換をしなければ、団塊の世代の高齢化とともに本当に高齢者だけのための産業になりかねない。

この改正のメリット・デメリット

この二点について、相当程度有益と思われる提言の記事があった。これを読むとわかりやすい。ただし、読売の人 (つまり守旧派、改革される側の人) が書いたものなので、それを踏まえてそれなりに割り引いて読む必要があるけれど。

■安倍「放送」改革に潜む落とし穴 (YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20180308-OYT8T50003.html?page_no=1

※記事内の世論調査の調査方式については、以下の URL の右カラム「カテゴリ」内「広告・メディア」から「ニュースメディアに関する調査(2017年10月実施)」を選択すると見ることができる。
https://www1.macromill.com/contact/ja/reports.php

この記事の中で言われているような、地方でのテレビの消滅や字幕放送停止の危惧などは、確かに一面ではその通りかもしれない。が、このあたりについて改正派の人で言及している人がいないのでなんとも言えない。

しかしながら、それならそれで、それこそネットメディアや CS 放送が地方に普及するのではないかという予想も可能だ。

字幕に関しても、なにも地上波が完全に担保しないといけないということはない。現在 YouTube でだって自動で可能なのだから、必要な人はそれを提供するところを見ればよい。

また災害時の情報の伝達に関しても、ぶっちゃけ災害は (言い方は悪いが) ドル箱コンテンツなので、ある程度以上規模のある放送局であれば放送しないわけがない。あとは当該自治体や政府の発表をきちんと伝達してくれればよい。ニッチな要求については、それこそ SNS の方が訴求力がある場合もある。

で、記事中の書きぶりで気づいた人がいるかもしれないが、フェイクニュースへの警戒を呼び掛ける部分があるが、それはネット上でのみ流れるものとされている。あたかもテレビではフェイクニュースを発していないかのようではないか。

結局話は戻るわけだが

そもそもこの放送法改正・規制緩和の動きが出てきたのには、現状のマスメディア自体への不信感が起きたからだ。自らは政治の監視、権力の監視を以て任じているにもかかわらず、自身はほとんど誰からも監視されておらず、放送法四条も形骸化させている。

言ってみれば、他人の批判はするくせに自分は安全地帯にいて批判されないという不自然な状態になっている、ということにネットからの指摘が入るようになったのだ。

この点をマスメディア自身が自覚しないことには、やはりこの改正を進めてメディア内のバトルロイヤル状態にするより他はないと思わざるを得ない。

競争に競争を重ねていけば、いずれ人々が求める放送局が生き残り、そうでない局は淘汰されて行く。

ただこの改正を進めると、視聴者側にもテレビ発の情報を鵜呑みにすることは許されなくなる。「誰かがこう言ってた」と受け手がサボることができなくなる。とは言え、ネットの情報と同じになるというだけだ。今までマスメディアの情報がまず間違いないと盲信されてきたというのも考えてみれば妙な話ではないか。

記事中に「《ネットも信じられないけど、放送も信じられない》ということにならないだろうか。」と何度か書かれているが、それで構わないのではないだろうか。

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