音楽

リアスタリスクのゆめのあと

2018/04/21


ちょっと書きすぎている感があったので間を空けてみたのだが、だからと言って文章のクオリティが上がるということではないらしい(笑)。

しかもため込んでいることを出してしまわないと思考が次に進まないので、書くべきか迷ったが書いてしまうことにする。

REASTERISK というバンドがいる...と言ってこのブログを定期的に読んでいる人には説明不要だろう。彼らの活動休止ワンマンにゲネから顔を出して映像を撮ったりしてきた。そして思うことをいくつか記す。

出会い

彼らとの出会いは正直よく覚えていないのだが、Atsusix あたりが語るところによれば、2009-2010 年頃に遡るらしい。

そのころ、6ft.down の企画が赤坂のライブハウスであった。そこで彼らの前身のバンド inchworm と対バンしていたらしい。「らしい」というのは、わりとオルタナティブというかヘヴィロック系な企画だったところにガチガチメタルの XECSNOIN で出たので、毛色の違いからあんまり出演バンドと仲良くならずにその日終わってしまったのだった。

向こうはこっちを覚えてくれたらしいのだが、こっちは昔からの知り合いの 6ft.down 以外あまり交流を得る機会もないままそれっきりになったと思ってた。社交性って大事ね(笑)。

再会

それから数年の時が流れ、妙な名前のバンドについて SNS 等で見かけるようになった。り...こめ?初めはバンド名が読めなかった。

なにやら映画の主題歌になったとか、ミニアルバムが売れているとかいう話だった。アー写を見る限り、女性ボーカルのオルタナティブな感じがした。そのころ確かこっちがメンバー探ししてライブ活動をしてなかったので、特別惹かれるということもなかった。実際売れ線の音楽をやっていると思ってなかったので、まあ売れるバンドは売れたらいいよくらいに思ってた。

それから XECSNOIN が図らずも女性ボーカル仕様になり、女性ボーカルのヘヴィ系みたいなイベントに放り込まれるようになった。

ある日のライブ、場所はいつもの吉祥寺 CRESCENDO だった。例の「りこめ」のバンドと対バンになった。顔合わせがあった後だったと思うが、すごい勢いで話しかけられた。赤坂のあの日の話をされた。正直ほとんど記憶になかったので、おれが後の「リアスタリスク」を認識したのはこの日だったと思う。と言っても、ライブをやれば誰かしら新しく面識を得る人はいるし、その時後にここまで深入りするとは思ってなかったから、正確にいつ頃というのも覚えていないわけだが。

「りこめ」からリアスタリスクへ

何度か対バンしていくうちに、「りこめ」ではなく、「リアスタリスク」と読むのだという認識になった。初めはサビメロは悪くないんだけど、特にこれと言って際立った特徴のないバンドだったように思う。リズムパターンが似ていたので、オルタナ系やギターロックにありがちな「あーこれ、おれが聴くと飽きるやつだ」という印象だったように思う。

そのうちに、"HADES" を手に入れた。Vacant Utopia がものすごく良い曲だと思った。おれが REASTERISK にとらえられたのはこの時だったと思う。ただ、「もうちょっと音にパンチがあればなあ!」という「惜しい感」はものすごくあった。

"HADES" は神奈川方面にドライブに行く時によく聴いてた。今でも "HADES" バージョンの Vacant Utopia を聴くと、横浜横須賀道路の景色を思い出す。

それから

それからの彼らは、みるみるうちに評価を得るようになっていった。ハードなツアー攻勢を続けながらも音源のリリースもコンスタントにやっていた。初ワンマンの NANA 覚醒の瞬間を見たのは、今でも覚えている。あれを見たから、おれは今でもライブハウスでのライブレポートを続けているのだと思う。

"Gene to Survive" には本当に楽しませてもらった。楽曲の多彩さ、意外さ、幅の広さというアルバム本体だけでなく、白を多く使った、そして NANA 大フィーチャーのアートワークの意外性、それらを含むビジュアル戦略も含めて。

弾いてみるとわかるのだが、"HADES" から "Gene to Survive" で一番劇的に変化しているのは KT のベースラインだろう。オーソドックスなロックの弾き方をしていた "HADES" から、アンサンブルの一角を主導する役割への転身は、メンバーが代わったかとすら思うほどの劇的な変化・成長だ。

"GtS" と "Demigod" のベースラインは難しくて、1/27 の代役は本当に苦労した(笑)。メロディの下で歌うような、流れを重視するベースラインは一方で弾くのが楽しい音でもあった。ただ、その難易度のため、あの日のライブの映像は怖くてまだ見てない(笑)。

そして

元々他人同士が集まってやるのがバンドなので、ぶつかることもあるし、色々、本当に色々なことが起こりうる。誰も悪くないのに「そうなってしまう」こともあれば、「意図しない方向だけれど良い結果」が出ることもある。

バンドに旬の時期があるかどうかなんて、周りが勝手に言うことだ。後から振り返ってみて、「ああ、あの時期は良かったね」と後付けで言う人が評価する話でしかない。当人たちは常にその瞬間にできることを必死にやっているだけなのが、バンドというものだ。

その彼らが、既に決まっていたスケジュールを未公表のものも含めてキャンセルした上での活動休止を選択した。中では色々なことがあったのだろう。何があったのかなんて外の人が知ることはないだろう。

一つ確かのは、彼らが現状をもって活動を止めることがベストな選択、あるいはベストではないにしても、ベターな選択、またはそれが最も有効な選択であると考えたということだ。

外から見て言えることは、ポスト・リアスタリスクの時代があまりにも突然やってきたということだ。

彼らがやってきたことは、ライブハウスシーンにとって一つの希望だった。ボーカルはバンド未経験のたたき上げ、インディーレーベルにも所属しない、言ってみれば「有志団体」の状態で O-WEST ワンマンまで成し遂げている。他にも TSUTAYA でレンタルとか、コンビニ内のラジオでオンエアされるとか。そのへんのインディーズバンドが到底なしえないことを彼らは文字通り独力で達成してきた。

ある意味では、勢いのある REASTERISK がシーンのムーブメントの中心の一つになっていた感もある。しかし、その吸引力は今や動きを止めてしまった。

積極的な活動のバンドを止めることには、それを動かし続けることよりも多大なエネルギーを要することがあるが、それを再び動かすことはほとんど新規結成くらいのエネルギーがいるだろう。

そして時が経つほどに状況は変化し、「あの時」の「あの感じ」は失われる。かと言って時間が経たなければ、解決できない要素というものもある。それはもう本人たちにしかわからないし、タイミングが合い、状況が許容するかどうかというある種の偶然に任せるしかない。

自称「 6 人目の REASTERISK」(笑)としては、おれの人生にすら影響を及ぼしたこのバンドを、はいそうですかと言ってシーンの歴史の一部としてしまうわけにはいかない。と言って、自分にできることがあるわけでもない。

だから、待つことにする。

古い話になるが、昔 hide の 3 枚目のアルバム "Ja, Zoo" を聴いた時、「この続きが聴きたい!」「この次の 4 枚目は大傑作になるに違いない!」と強く思った。あれからもう 20 年待っている。 4 枚目はまだ出ない。

だから、おれにとっては数年待つことなんてどうということはない。

"Demigod" を聴いた時、"GtS" と "Demigod" を足して発展、昇華させることができたら、次作はすごいものになるだろう!という期待を覚えた。そういう期待を抱かせてくれるバンドはそう多くあるものではない。だから、その時が来るまで待つ。

仮に 20 年後に再び REASTERISK の名に火が入ることがあったとして、でもあの時のあの熱量には比べるべくもなかったとしても、おれは迷わず「待ってたよ」と言ってやろうと思う。おれにとって、REASTERISK というバンドはそういう存在になった。

REASTERISK が作りだす、熱く、激しく、そしてピースフルなライブの空間が好きだった。同じくバンドをやる身として、「あれをまた見たい」とは言わない。が、それでもなお、いちファンとして、何かしらの期待だけは持ち続けていようと思う。

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