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悪しき体育会系の旧弊


最近のアメフトの問題にしろ、その前のレスリングもそうだし、相撲協会もそうだけど、悪い意味での体育会系的体質というのがまだまだはびこっているんだなあと思う。

こう見えて、中学から大学二年まで陸上競技をそれなりにせっせとやってたんですよ。都の強化選手候補になるくらいには。

陸上競技はリレーと駅伝以外は、集団でなくても練習できるというのもあってか、わりと殴られたりメンタルに追い込みかけられたりという話は少なかったように思う。まあそれにしてもスパルタのところがないわけではなかった。

中学のバレー部はひどかった。試合に負けたら即坊主。顧問から殴られたり蹴られたりが当り前。女子でも顔を殴られて青あざ作ってたのは流石にひいた。あれは顧問がサディストだったんだな。その後何かやらかして飛ばされたらしいけど、あんなの飛ばされた方も迷惑だろうにと思ったものだ。

翻って陸上部は平和だった。そもそも出場競技数に対して部員数が過少だったから、レギュラー争いというものが存在しなかった(笑)。「200m 誰か出たい人いない~?」みたいな。

高校では、そもそも制服のないような理不尽なスパルタとは無縁の学校に行っていたので、部活も悪い意味での体育会系なところはなかった。陸上部は相変わらず部員過少、どころか幽霊部員多数で夏休みなんかはよく一人で練習してた。

自分の学校にそういうのが無いからと言って他のところにないというわけでは当然なかった。大会に行くと、軍隊的な規律でピリピリしながらレギュラー以外の選手が補佐役の動きをするところもあったし、OB と称するチンピラまがいの連中が試合で負けた選手を罵倒しているところにも遭遇した。

だいたいね、地区大会ごときで負けたら怒鳴られるとか、意に反して坊主にさせられるとか、もうほんと意味がわからない。

部活に限らず、昔っから「先輩の言うことは絶対」とか「試合に負けたら○○」というような、悪い意味での体育会系の風潮が嫌いだった。だから学校もそうでないところを選んで進学したし、部活においてはなおさらだった。

「部」という集団を統御するためにはある程度システマチックにやったり、上意下達の意識を植え付けたりすることが必要ではあると思う。おれがいたような少人数のところではなく、数十人という集団になればなるほど。

だが、軍隊的な規律を取り入れることと、軍隊的な悪弊を横行させることは全く異なる。

目的は組織運営の効率化と成績の向上のはずだ。だが、いつしか今あるやり方を踏襲することが目的になってしまって、本来の目的は忘れ去られる。

そこには誰かが作った「決まり」があり、それを周りが「決まりだから」と無批判に踏襲するという思考停止がある。

例えば、球技では集団で隊列を作って声を出しながらランニングすることがある。球技では競技中のコミュニケーションが必要だし、そのためには体を動かしている状態で声を出すということが必要になる。

ところが、陸上競技ではそれは必要ない。競技中に他者とコミュニケーションを取ることはほとんどない。強いて言えば、リレーのバトンパスで「ハイ」と言うくらいか。

あとは組織としての団結力のためと言う人もいないではないが、こと陸上競技においてはそこもそれほど重要ではない。というか陸上選手は走っている間は自分のことを考えているので、この競技においては組織的な団結力は他で高めた方がより効果的だろうと思う。

だから、陸上競技で集団で声を出してのランニングは必要ないということになる。もちろん長距離であればペース配分や駆け引きが必要になるからそのトレーニングになるし、短距離でも速い選手と練習することでより高い負荷をかけることができるから、集団でやること自体は理に適う。ただし、声を出すことはまた別だ、という話だ。

正直、こういう「悪しき体育会系」は前世紀で滅んだと思ってた。だってもう 21 世紀よ?いつまで気合と根性でスポーツやってんの?と不思議でならない。

と言って高い負荷をかける練習を否定しているわけではない。トレーニングメニューを完遂すること、高負荷の状態で適切なプレーをすること、試合中のような緊張状態で結果をだすためのトレーニングというのは、競技のレベルが上がるほどに必要になるだろう。

ただ、それは指導者と選手との合意の上で行われるべきもので、双方がその意味と目的を理解していないと効果が下がる。競技レベルの高い選手は頭を使って練習をする。「いいからこれをやれ」では選手が考えることができない。

指導者においても、叱咤激励と罵倒中傷の区別がつかないとか、不出来な選手がいると手をあげてしまうというのであれば、それは自分が無能であるということを自覚するべきだ。というか意図的かどうかに関わらず、物事を殴って処理しようとする人は、指導者に向いてないよ。一般人としてもアウトだし。

山本五十六の名言で「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」というのがある。指導者は文字通り指で導く、指示して導く者であらねばならない。

殴る蹴るはもとより、反則行為をそそのかしたり、権力をふりかざしたりする「指導者」は三流以下、というのが今後の常識になることを期待したい。

最後に、帝京大ラグビー部についての記事を紹介したい。ここは「下級生は神様」の精神で、上級生が掃除や雑用をするんだそうな。この記事の中では大学選手権 6 連覇とあるが、その後も勝ち続け今や 9 連覇中だ。

ラグビー最強チーム 最上級生は雑用係?
https://www.excite.co.jp/News/column_g/20150416/Sinkan_index_5634.html

三連覇することすら難しかった大学ラグビーでこの偉業だ。つまり勝ちっぱなしの帝京大ラグビー部 OB がまるまる二世代いるということだ。この意味がわかるだろうか。結果を求めればこそ、より効率的なトレーニングが必要で、そのためには理解と合意が必要だ。

この理解は今後ますます広まっていく。悪しき体育会系の旧弊を打破できない者に未来はないだろう。

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