音楽

音楽という枠の中での自由


音楽に自分から触れるようになってそろそろ四半世紀になろうかというのだが、その深度はともかく音楽への接し方というのは、基本的にあまりかわっていないように思う。

その中で、誤解していたことをいくつか書いてみようと思う。

1. 自由は無法じゃなかった

尾崎豊の世界のように、音楽に没入することで社会や精神からの束縛から全くの自由を得られると思って音楽に触れるようになったわけではないが、多少なりともその気がなかったとは言えない(笑)。

やってみてわかることだが、音楽というのは束縛が多い...というよりそもそもここに根本的な誤解がある。

音楽の三要素がリズム、メロディ、ハーモニーと言われるように、よほど特殊なジャンルでない限り、一定の音階の中で何をどうするかというのが音楽なわけだ。

わけもわからずとりあえず楽器を手にすれば音楽が出るわけではないし、とにかく大きな声を出せば音楽になるかというとそうでもない。

楽器はそれが出せる音が出るように弾かないといけないし、歌は歌であるように歌わないと歌にならない。

楽器ごとに音域は決まっているし、出せる音色もだいたい決まっている。

音を出してもコードやスケールに沿った方がうまくいくことが多い。

何より音楽自体にものすごく拘束される。練習しないと上手くならないし、ちょっとさぼるとすぐ下手になる。労力も時間も費用もかかる。

他人と併せる場合には曲の進行通りに弾かないといけない。半音ずれたら大惨事になる。

音楽自体が何か自由をもたらすというよりは、音楽を使ってそれを聴いた人に自由であるという想像をさせる。それゆえに誤解が生じやすい。

音楽における自由とは、言わば一定のルールや法則に基づいた組み合わせの自由のことだったんだなあと今にして思う。

その中で、基本や王道や鉄板がある。

無法と自由は違うとか、王道は王道であるがゆえに王道なのだとか、型を知らずに型破りはできない、といった言葉の重みを実感する今日この頃。

2. 音楽は変わる

学生の頃、ライブやコンサートに「再現」を求めていた時期があった。

聴きまくった曲の歌いまわしやギターソロのフレーズが生演奏で大なり小なり音源と違うように演奏されると、「音源と違う!」とがっかりしていたことがあった。

ところが、自分で楽器を演奏するようになり、オリジナルのバンドを始めてみると、理解した。変わっていくのが自然なのだと。

その曲、そのフレーズが出来た頃と演奏している今では色々なものが異なることがほとんどだ。時間も経つし、考え方も変わる。バンドだったらメンバーが代わっていたりもする。

レコーディングした時期以降、何十回、何百回と再現していくうちに、より良いと思うフレーズに差し替えることもある。

そうなると、その曲を発表した当時のように再現することの方がむしろ困難だったりする。だから音楽は変わっていく。

今では、往年の名曲を発表当時そのままのフレーズで再現できるアーティストの方がすごいなと思うようになった。

変更の必要がない創作時点での完成度と、環境が変わってもそれを貫き通すスピリットに。

3. 完全な即興演奏をしている人はそれほど多くない

ジャズはともかく、ロック、ポップスの曲というのは、基本的に内容が決まっている。

作曲者の意図に基づいて意図したようにレコーディングされ、それをそのように再現するのがライブである、という解釈をしても概ね差し支えなかろうと思う。

その中で外してもいい場所や自由にその日の気分でフレーズを変えてよいところというのがある。

その「自由」も、演奏者が過去に何千時間、何万回も試行錯誤を繰り返して蓄積されたものの中から、フィットするフレーズを出していることが多い。

このコード進行ならこういうフレーズだとか、歌メロがこうだからこういう入り方がいいだろうとか。

先述の「組み合わせの自由」ってやつだ。

引き出しに入っているものの中から...ということは過去に引き出しに入れたことがあるわけで、それはすなわち既知のものであるということだ。

演者自身が知らなかったものをその場で誰知らず繰り出したということは、うまく行けば奇跡になるが、うまく行かなければダメな演奏ということになる。

スケールアウトさせるのは意図的だが、スケールアウトしちゃったのは失敗、といった具合に。

そんなわけで、即興、アドリブとは言うけれど、その場でとっさに何を繰り出すかという状況になったとして、それは演者にとっては既知のものであることが多く、完全なインプロビゼーション、即興演奏をしている人は、それほど多くないというのが最近の印象。

まあこれを言い出すと、即興とは、アドリブとは何かという定義の話になるんだけど、それは面倒なのでやめておく。

あとは、ステップアップするにつれ、無責任な演奏はできないという状況になるせいかもしれない。

とまあこんなことを思いながらなぜいまだに続けているかと言うと、やはり他の何よりも楽しい行動だから。聴くのも見るのも弾くのも楽しい。

やればやっただけ上手くなるし (ただしその成長度合いは階段状ではあるが)、新しい発見に出会うことも多い。

まあそんなわけで、当分音楽とのかかわりあいは続いていくだろうなっていう話。

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