社会 政治

ダメ出しだけで終わらないために


「日本はダメな国だ!」という「日本ダメ論」が嫌い。

かと言って「日本は天国のような素晴らしい国だ!」とも思ってない。

国家にパラダイスはないし、どの国にも良い面と悪い面がある。ただその割合によって、あるいはその人が見える範囲によって、良い国だとか悪い国だと言っているに過ぎない、と思う。

日本ダメ論の何がダメかと言えば、「ダメな国だ!」で終わっているところ。

社会に文句つけるだけなら中学生でもできるわけで。

「ここは良くない」の次に「だからこうしたらこういう風に良くなる」と続くと、まっとうな批判になる。逆に、この「続き」がないとただの悪口でしかない。

その悪口は居酒屋談義なら別に構わないんだけど、メディアや出版でやられるとうんざりする。

その記事を作った人はすっきりするかもしれないけどね。

集団の環境を整えていく上では、個々の利害の線引きが異なる。ここまででいい人、その先の点まで行かないと許容できない人。色々いる。

最大多数の最大幸福を追求するのが民主主義、つまり 51% の人がより利益を得られるようにするのが今の社会ということになっている。

ただ、テーマ A に賛同した人がテーマ B にも賛同するとは限らない。なぜなら、人によって利害のポイントが異なるから。

同じ人でも立場による場合がある。一個人としてはどっちでもいいけど、勤め人としては会社の利益にならないから賛同できない、という具合に。

あるいは、うちには直接関係ないけど、母親としてはこうあって欲しいという風に。

そういう人たちが沢山いて、時が経つにつれて立場も事情も変えながら形作っているのが「国」というものだったりする。

そう考えると、それは楽園でありえようはずはないし、一方でそれがより良いものであろうとする努力を放棄するのもなんか違う。

社会制度自体も時間の経過とともに置かれる状況が変わる。

かつて飛脚や郵便馬車という仕事があったが、今は存在しない。炭鉱夫や港湾の荷揚げ夫の仕事も社会の一翼だった時期があるが、今の日本ではそれに従事する人はほとんどいない。

職業の在り様も変わるし、技術の進歩や人々の考え方の変化によっても、社会制度は変更を求められる。

これは良い制度なんだ!と作った時に作った人は思っただろう。しかしそれは永遠には続かない。

だから常に社会の仕組みがより良いものであるよに点検と更新が必要だし、それには多くの人間の意見が必要だ。

その作業をやっていく時に、「ここが良くない」を集めて「じゃあこうしよう」を考えるのは政治家の仕事なんだけど、政治家やその周辺の専門職の人々に加えて、一個人の突飛な「こういうのはどう?」というのがあると、専門職の人の常識外からの新しい発想が取り入れられる可能性が高まる。

なるべく多くの人の利益を図るためには、なるべく多くの意見を採集した方が良いというのは自明だろう。

ただまあ、先に述べているように様々な立場の人がいるので、より多くの意見を求めるほどに、その煩雑さは加速度的に高まる。

かく言うこのブログだって、一個人の意見を特定の一個人の立場から述べているに過ぎない。

他の人は他の意見を言う権利がある。それが表現の自由、言論の自由というもので。

そんなわけで、ダメだと言うだけでは、その先につながりづらい。ダメだだけじゃなく、その先の改善案を示してこそ、次への足がかりが明確になるだろうと思う。

そしてメディアや名のある評論家、言論人にはそれをやってもらいたい。傷のなめ合いしてるだけじゃ何も出てこないのだから。

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