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新元号「令和」


乗るしかないですね、このビッグウェーブに。

ということで元号の話。

もともとなんで元号ができたかを考えると、人間は時間を区切った方が便利なわけよ。

朝と夜で一日として、空を見上げて冬至と夏至を決め、春分と秋分を作った。

ただ春分と秋分、夏至と冬至は年によって変わる。そこでモノを知っている人が今年の冬至はこの日、という風に決めた。

学者は知識層、古代の知識層は支配階級に属するので、時に名を与えて定義することがやがて権威になった。

その流れで「年」全体に名を与えることが、あっちの大陸では皇帝の権威になった。

というおれの推測(笑)。

まあでも古来から日本でも時を定義するのが天皇と朝廷の権威、特権の一つであったことは間違いない。

令和の異例さ

来月からの新元号「令和」には、従来からある慣例とは異なる点が二つある。

一つは、次の元号が何であるかをおそらく歴史上初めて国民が事前に知っているということ。

今までは変わってから公布されていたのが、今回は変わる前に「こうなります」と周知された。平成でさえ決定されて既に始まったものが発表された。事前周知は歴史にないこと。

もう一つは、出典が万葉集、すなわち支那の古典ではなくて日本の古典であること。

元来の朝廷というのは政治機構であると同時に文化と伝統の保持機能を持っていた。

そこでは伝統を確実に次代に伝えることが重視され、故無き新義は不吉とされた、と聞いたことがある。

つまり、新しいことは不吉、ということ。

加えて、元号自体は支那大陸から由来したものであるけれど、日本が独自に元号を建てるということは、中華文明からの独立の宣言を意味している。

「おまえんとこの時間とは違う時間を生きている」「そちらの権威には従いません」ということだ。

そしてそれをさらに出展を自国の古典に求めたということは、中華文明からの完全な決別を意味している。

ただ一方で、新義は不吉、でもある。

大化元年 (西暦 645 年) から平成三十年 (西暦 2019 年) まで続く 1300 年以上の歴史を変える元号になるかもしれない。

元号・大化により日本は中華文明からの独立を果たしたが、その 1300 年後の令和元年から一国で一文明を担う日本文明の確立を企図し、今に続く日本文明興隆の起点となった、と後世で綴られるかもしれない。

あるいは、令和の時代に悪いことが続けば、やはり新義は不吉であったということで、次の元号はまた支那古典由来に戻るかもしれない。

これはもうこれからの日本の歴史の推移によるとしか言えない。

まさに次の歴史は今生きている日本国民に委ねられた。

多くの人が自覚していないことだが、おれたちは歴史の中を生きている。おれたちの一挙手一投足が歴史のごく小さな一片の構成要素になり、おれたちの後に歴史ができる。

つまりおれたちは歴史の創造者であると同時に後世における歴史上の人物なわけだ。それが書籍などで特筆して語られるかどうかは別にしても。

そう考えると、おれたちは過去の歴史の蓄積に対して責任があるし、今後歴史となるであろう後世に対しても責任がある。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とはビスマルクの言葉だが、彼は歴史とは他人の失敗経験の意味で言ったのだが、過去の他人の経験はまさに歴史なわけで、巷間で把握されている意味でもさほど変わりはないだろう。

そんなわけで、令和をただの異例の元号とするのか、それとも歴史の転換点にするのか、という大きな課題が投げかけられていると考えたい。

思い返せば、平成の始まり、平成と言う元号の発表は、先帝陛下の崩御の翌日に行われた。

昭和という時代のまさに象徴的な存在であった昭和天皇の喪失という陰鬱な雰囲気の中で平成はスタートした。

今回の改元は今上陛下の御譲位によるもので、 約 200 年ぶりの天皇の崩御に伴わない天皇の交代、そして改元だ。

そして未来は我々の手でいくらでも良いものに出来る。

昨日一日、令和という新しい言葉について考えた人は、つまり未来を考えた。

こういう前向きな思考とともに新しい時代を前向きに作って欲しいというのが、今上陛下が最後に国民に残されたものではないだろうか、と推測する。

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