社会 文化

新元号「令和」 2


元号に関する話、その二。

令和の出典は万葉集というのは周知の通り。

■原文: 初春月、気淑風、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香

■書き下し: 初春の月にして 気淑(よ)く風(やわら)ぎ 梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き 蘭(らん)は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す

■意味: 時あたかも新春の好き月(よきつき)、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉(おしろい)のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている

ソース:https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2019/0401singengou.html (首相官邸)
https://dic.nicovideo.jp/a/%E4%BB%A4%E5%92%8C (ニコニコ大百科)

ということなんだが、ニコニコ大百科がソースを担保する能力があるかどうかはさておき(笑)、結局漢文なんだよね。

日本の過去、歴史に関する話を調べて行くと、どうしても古文漢文の素養が必要になる。

なぜかというと、そういう書き方で記録されてきたものだから。

文字に関しては、大陸の影響がないわけがない。そもそも「漢」字なわけで。

他にも、服、辛子、獅子などと言ったりする。

日本の文化は、大陸の影響を受け、1000年以上の時を経て、今ではほぼ別物になったとも言える。

昔に会ったことを知っていることがどういうことかと言うと、それは歴史を共有するということなんだな。

昔に描かれた書籍の一説を知っている、昔の出来事のあらましを知っている、そういうことで、過去と現在が接続される。我々が歴史上の人物であることが実証される。

「それは故事成語の熟語ですね」「それは○○の一説ですね」「それは○○の乱で流罪になった誰それの歌ですね」

こういう共有がなされることで、日本の歴史の存在が実証される。そしてたぶんこういうことを積み重ねていくことを教養と言うんだと思う。

教養は知りたいと思うこと

「新しい元号が発表されました」「新元号は令和です」「ふーん」「レーワね」

これだとただ事実を点として受け止めたに過ぎない。

「令和の令と和ってどういう意味があるの?」「令と和がくっつくとどういう意味?」「出典は?万葉集!?」「万葉集のどのあたり?」「そこにはどんなことが書いてあるの?」

文字の意味を知り、出典の内容を知り、その背景を知ることを積み重ねていくことで、知識が蓄積されて行く。教養とは知識の塊のことでもある。

ちなみに令和が発表されてから、万葉集に関する書籍は実店舗、ネット通販を問わず軒並み売り切れだそうな(笑)。

点を線、線を面にする

一つのことについて知りたいと思って、ネット検索でも何でもいいから調べる。これが教養を身につける最初の一歩。

そこで、「よし、このことについてはわかった。ということは...?」ということをやりだすと話が一気に広がる。

たとえば万葉集に関して、そこの書かれている歌の背景について考えてみるとか、著名な歌人について調べてみるとか、あるいは同じ歌集で他のもの (古今和歌集など) を読んでみるとか、あるいは「古典」つながりで他の書籍を読んでみるとかでもいい。

あるいは自分でも歌を詠んでみる、そもそも本を読むという行動を増やしてみる。まあ何でもいい。とにかく何か始めてみるといい。

こうして自分の中にいくつかの点ができる。それらに関連性があると、関連性があることが自分でわかると、それが線になる。

その線がいくつかつながって、何かの拍子に「これとこれってそういうことだったのか!」と面になる。これがおれが思う教養ってやつ。

教養とは予備と余裕

ステージに上がって人前で何かをしたことがある人間ならわかると思うんだけど、今からそのステージでやることに対して、自分の備えが 100% それに対してだけしかない状態ってマズイんだよね。

何か不測のことが起きたら対応できないし、余裕がないから緊張するし、緊張することによって失敗する可能性も上がる。

だから本番で失敗しないように練習して確実性を上げるし、先に失敗する場合をシミュレーションしておくことで学習して、本番でやりたかったことがきちんとできるようにする。

今 80% しかできないこと、十割の確率で成功しないことが本番でもし上手くできたとしても、それは運が良かったとかまぐれの類。

その確実性を 100% に寄せて行く作業が練習で、それはある意味で無駄を削る作業ともいえるが、つまり予備を増やすことなんだな。

軍事で言う、兵站を確保するってやつ。補給が見込めないのに戦闘始めたら全滅しちゃうからね。RPG なんかのゲームで言う回復役ですよ。

で、この予備を増やすっていうことが重要。知識においても。

例えばさっきの万葉集で言うと、「『万葉集というものがある』ということを知っている」というのが点、「万葉集とは歌集である」が線、

これを面にするには、編者は誰で、いつ頃にできて、どんな歌が入ってて、有名な一節はどれで、そのうちの一節が元号・令和の原典とされて、他にもこんなエピソードがあって云々ということを把握する。

学校でもこういうことはやるんだけど、学校でやることはみんな知ってるから、それは教養でもあり一般常識でもある。

例えば、水は摂氏 4 度で密度が最大になるとか、織田信長は楽市楽座の制度を作ったとか、そういうこと。

自分なりの教養というのは何かと言うと、自分が興味があることについて面を沢山作っていくということ。

人間が多面的な存在であるように、その人間が作る社会も多面的であり、またその中にある事象も多面的に捉えることができる。

そしてそれ多面的であるがために、一度に全部引き出されることはない。

何かの拍子にある知識が必要とされることがある。その時に必要だったもの「以外のもの」、これが重要。

その時に必要だったものを満たし、そしてさらにどれだけまだ余裕があるか、バックアップ体制が揺らいでないか、ということが大事なのよ。

まあ令和からだいぶ離れたけど(笑)、令和のついでに色々楽しんで調べて行くと、今まで知らなかったものが見えてくるし、それによって見える世界も広がる。

一説には知識の快感 (いわゆるアハ体験) は性的快楽に優るとも言う。

知識収集の楽しさがわかると、こんなに楽しいことはないと思うようになる。

さあ、みなさんも楽しい知識の世界へいらっしゃいませ(笑)。

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