社会 文化

点と線と面の話 1


改元に関して大枠の話...かな?(笑)

今回の新元号発表に際して、改元は違憲だ!つって裁判起こした人がいるのよ。

■ 天皇即位のたびに元号を改定するのは違憲 長野県の弁護士らが提訴
http://news.livedoor.com/article/detail/16224014/ (Livedoor News)

まあ普通に考えればというか普通の人は興味ないか馬鹿じゃねーのといってシカトするところなんだけど、じゃあなんで「馬鹿じゃねーの」と思うかというところをちょっと掘ってみる。

ちなみにこの訴えを起こした弁護士は東大安田講堂の学生運動の弁護士やったり金嬉老の弁護士やったりするギンギンに左の人。

憲法に定められた存在の天皇が国事行為として元号法に基づいて、同じく憲法で定義されている国事行為として新元号を公布する。そしてそれは内閣の輔弼 (助言と承認) である閣議 (全会一致制) を経ている。

この人の主張についてはツッコミどころ満載で、はっきり言ってどうでもいいっちゃそれまでなんだけど、いくつかポイントにできることがある。

今現在、元号を使っている国は世界中で日本しかない。かつては支那、朝鮮、ベトナムでも使われていたが、今では廃止されている。

「権威の存在の交代に基づいて時を区切る」っていうのは、まあ確かに珍しいし、その使用に際してはメリットとデメリットがある。

特にデメリットだけが強調されがちだけど、「激動の昭和」とよく言ったものだし、最近じゃ「平成最後の」って言うわけよ。

次代を区切って一定の共有意識を得るという点ではメリットがとてもあると言える。

おれなんか昭和生まれだけど、小学校出る前に平成になっちゃったから、どっちかと言うと平成人かなとも言える。

文字になっているものだけが憲法じゃない

ヒダリの人は何かというと違憲だと言って裁判起こすけど、憲法ってまずその精神ありきなんだよね。

文字になっているものは「憲法典」と言う。憲法典には二つの傾向があって、簡文憲法と詳文憲法。

前者は、重要なことだけを憲法典に書き、あとは「常識」に任せる。イギリスの憲法がこの最たるもので、条文がない。日本の憲法もこの部類。

後者は、とにかく何でもかんでも憲法に書く。ドイツやアメリカのやり方がこれ。

前者は比較的歴史の長い国に多く、後者は最近できた国にあることが多い。

で、考えてみるわけだけど、日本の天皇はどう考えても 1600 年くらいはいるし、元号も 1300 年くらいは使ってる。

西洋型の憲法って原型であるマグナカルタがイングランドでできたのは 1215 年、13 世紀だ。

ほー、イングランドすごいねーと言ってる場合じゃなくて、日本には十七条憲法やら建武式目やらが既にあった。

幕末から明治にかけて西洋に対抗するために近代国家を作るにあたって、近代法の概念を取り入れた時に、西洋型の法制度に既にあった「憲法」の文字を充てた。

だから、今で言う「憲法」なんか無くても国を運営することは十分可能なわけよ。

ただ、あえて必要があることに関して定義が揺れないようにするために条文にした。これが憲法典、今多くの人が「憲法」だと思っているものなわけだ。

じゃあ、「憲法」が出来る前からやってることと、最近できた「憲法」がバッティングするとして、どっちを優先させるかっていう話になる。

古いものは悪いものか

戦後、価値観が大きく変わり、そこでは唯物史観、科学崇拝が蔓延した。その思考として、より新しいものがより正しい、と考える向きがある。

これは裏を返せば、古いものは劣っており、正しくない、悪である、という考えなわけよ。

すっごく共産主義の香りがする(笑)。

ところが、一方で、日本と言う国自体が現在確定しているだけでも 1600 年以上の歴史を持つもので、上記の弁護士なんかにしてみれば、余計に「古い!良くない!」という考えになってしまうのではないかと思う。

さらに言えば、歴史の淘汰を経たものには一定の価値があるという考えもある。それが古典だったり、歴史の偉人の言葉だったりする。

古典で言えば、その作品が出来た時代の人もこれは良いものだと思い、次の世代の人もこれは良いものだと思う。

その積み重ねを経て、なお生き残っているものが古典作品なわけだな。

今しか見ない人にとっては、過去の検証を経たということがわからない。

なぜなら古いものは良くないものなので、過去に検証したその感性も古いがゆえに大したことないものだと認識する。

これって、ある種の選民思想でもあり、なんというか、傲慢だよね。

その傲慢さの発露の別の形が、「個と全を同一化する」という傾向。私の視点を極大化するとも言えるかな。

どういうことかと言うと、この弁護士は、「彼が違憲だと思った」ということを「日本国民の人権を侵害している」と言う。

じゃあ、おれみたいに「元号あっていいじゃん」と思う人の権利はどうなるの?と言いたい。

でも彼にとっては自分が正義なので、元号を廃止することが「正しい」と思っているだろう。

この世の中を正しいか正しくないかの二元論で見るというのは、とても雑な見方だし、危険な方向に走りがちな考えだ。

正しくない政府は打倒して正しい国を作ろうという革命思想につながりやすい。

じゃあそれがもし他の誰かにとって正しくない者だったらどうするの?ということは考えない。

こういう考えが戦後左派には多かった、と思っている。

・自分の視点、感覚を公のものとして持ち出す
・過去の経緯を考えない。

この二点が、21 世紀のネット社会では叩かれやすい。なぜなら、ネットが無かった時代よりもっと多様な考えがネット上に持ち出されるから。

だいぶ長くなってしまったので続くことにしよう。

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