雑記

動作と記憶の関連


本を読むのが好きなんだよね。

やっぱり文庫本サイズが手に収まって一番かな。ハードカバーだとちょっと重いんだよね。

本を読みながら寝落ちするのも好き。なんなら翌日「昨日どこまで読んだっけ?」と同じところを二度読むのも嫌いじゃない。少なくとも損したとは思わない。

おれにとって「本」とは、紙とインクでできていて製本されて手に持てる、それが本だ。できれば縦書きの日本語で書いてあるものだとなおありがたい。

そして、「本を読む」とは、本を手に持って手でページをめくって読み進めていくもの、だと思っている。

とはいえこのご時世、情報の多くをネットで仕入れているし、仕事の資料はデータで来る。

仕事関係で今時「じゃあ郵送します」と言われても困る(笑)。

前世紀末から PC に触れているので、ウェブ上の読み物も読むし、電子書籍なんかも最近読むようになった。

そこでやはり思うのは、紙で読んだ方が記憶に残るということだ。おれにとっては、だけど。

小学校に上がる前から本を貪るように読んでいた。

近所の公立図書館にはしょっちゅう行ってたし、通ってた公文の棚にあった子供向けの本は全部読んだ。

なんなら中学後半から高校生くらいが一番本を読んでなかった(笑)。

そのころは本と言えば紙の本しかなかった。なにしろ 80 年代だったから。ネットもなければ携帯電話もない。

紙の本はめくって読む。まあ当然だ。

そんな中で、紙に印刷された活字から情報を吸収する。それを進めるには手を動かして紙をめくる。この二つの動作が関連付けられた。

記憶を誘発する因子

これをするとあれを思い出す、みたいなことがあるだろう。

俺の場合で言えば、ミルクキャラメルを食べると子供のころやっていたゲームを思い出す。

特定の香水の香りがすると、以前つきあってた女の子のことを思い出す。

他にも、通りすがりのグラウンドで部活をやっている学生の姿をみると、自分が学生の時に走っていたことを思い出したり、昔務めていた会社のロゴを見ると、その時のことを思い出したりする。

人間は眼だけで情報を仕入れるのではなくて、それに関連する情報や動作で補完しているのだと思う。

だから、おれは「本を手に持つ」と体がその本に書かれている情報を吸収する体勢になるんだろう。

一方、ブラウザで表示されたものについては、「手に持つ」という要素が欠落する。

だから眼だけでそこにある情報を拾い切らなくてはいけない。

おれにとってはそれは不完全な行動、あるいは効率の悪いことになるんだろうと思う。

時代と行動の変遷

昭和生まれのおれにとっては、本は紙で読むのが当然のことだけど、21 世紀生まれ、あるいはこれから令和の時代に生まれてくる人たちにとっては、ひょっとしたら違うかもしれない。

彼らにとって「本を読む」とはスマートフォンやタブレット内の情報を得ることで、ページをめくると言っても、それは指を画面上に置いて横にスライドさせることになるだろう。

本を読むためには、書店で買う人と、amazonで注文する人と、電子書籍を当たる人と、それぞれ違いが出てくる。

これは蓄積と慣れによるものなんだけど、おれみたいに「やっぱ紙が一番だよな~」と思う人にとっては、これからはしんどい時代なのかもしれない。

と言っても、ちょっとしたものは印刷は自分でやるので、こまごまとしたものまで「郵送します」と言われてもそれはそれで困るのだが(笑)。

選択と集中

昔は文字は原稿用紙で縦書きに四百字詰めで書くものだと思っていた。

いつのころからか、A4 サイズで横書きに書くようになった。気づいたら、「文字を書く」ことはもっぱら PC のキーボードを叩くのと同義になっていた。

あまり人のことは言えないものだ(笑)。

恥ずかしながらおれは手書きの文字が汚い。とても汚い。残念ながら。

PC で書くと誰もが読める文字を残すことができる。

なにより修正、改変が自由だ。一文字書き漏らしたから一枚丸ごと書き直しなんてことはない。

書き進めて行って、この段落はやっぱここに差し込んだ方がいいな、ということも自由だ。

デジタルで書くことは効率が良く、さらに完成度を上げるのに近道だ。

そんなわけで、インプットは紙、アウトプットはデジタルという現在のやりかたになった。

そう考えると、いずれおれがブラウザで文字を読むことに本当に慣れたら、「紙の本?そんな面倒なことやってられないよ」みたいなブログを書くかもしれない(笑)。

ただ、紙で読むことの蓄積の方がまだだいぶ長いので、紙の方が好きという状態はもうしばらくは続くんだろうと思う。

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