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バンドに「さん」をつけるべきか否か


最近ブログ書くネタが戻って来た (ネタを思いつくようになった) ので、またぼちぼち書いていこうかなと思います。

まあ誰かに約束したわけでもないし、書きたいから書いてるので、ネタが無くなったらまたぷっつり書かなくなるかもしれない(笑)。

ブログ書くのが辛くなったり重荷になったりしたら終了しよう、というのは開設当初から思っていることだけれど、まだそこまででもない。

ネタは今のところあと一週間分くらいはあるので、あと一週間は大丈夫(笑)。

というわけでタイトルのちょっと古いネタに乗っかってみる。

バンドとは何か

バンドというかアーティスト名義全体として考えた方がいいかもしれないが、今回はバンドとして書く。

バンドというのは不思議なもので、複数の人間が集まってやるわりには、そのメンバーの個人を取り出してみてもそのバンドにはならない。

逆に、そのメンバーがいないとバンドにならないかと言えばそうではなく、脱退や交代がありうる。

最近では奥さんが出産するからメンバーが一人ツアーに行かないとか、体壊して一時期活動を休止するメンバーがいるけど、バンド自体は活動してる、なんてことも珍しくなくなってきた。

そう考えると、「バンドとは何か」を考える場合、それは複数の人間が集まって音楽をやる集合体というよりは、一つの概念なのだと考える方がより適切かもしれない。

「こういう枠組みがあることにする」という共通認識だ。

もちろん強烈な存在感の中心人物がいなくなったらそのバンドたりえるかと言えばそうはいかない。

ミスチルから桜井がいなくなったらミスチルとは言わないだろうし、ジョン・ボンジョビが家庭の事情でツアーに行かないと言ったら、それはボン・ジョビのツアーと言えるか?という話だ。

ほかには、モーターヘッドのレミーが亡くなった後、モーターヘッドは活動せず、活動終了を宣言した。レミー無くしてはモーターヘッド足りえないからだ。

そういう意味では、中身に偏りのある枠組みと言える。

バンドは記号化してこそ

そう考えると、バンドとは、人によるところが大きいけれど、それ自体が一人の人間というわけではない。

それは商標であり、概念を指すものでもあり、特定の複数の人間が集まった状態を指す言葉でもある。

そこに法人格のような概念としての人格を与えることはできるかもしれないが、果たしてそれでいいのか?という疑問は残る。

それに、バンドは有名になるにつれて、その半分は他者 (ファン) のものになる。

どんなに有名なバンドも、突き詰めればファンとの関係性は一対一だ。

ところが、ファンは一人の人間だが、上にも書いたように「バンド」は一人の人間ではなく、人間の集合体としての枠組みの名前だ。

おそらくこのあたりに議論の余地がうまれたのだろうと思う。

バンドが有名になると、自分以外にもそのバンドを好きな人がいることを知る。

そうるすと、そのバンドはそのファン自身のものであるけれど、同時に別のファンのものでもあるという曖昧な状態が発生し、それが拡大・拡散していく。

こうしたとき、バンドは共通概念としての「記号」になる。

バンド名という記号は、A という曲と B という曲と C という曲を発表し、メンバー A、B、C がいる集団という概念を象徴するもの、つまり名前であり、それは同時に概念だ。

だが、それは共通認識であっても、その人そのものではない。

そんなこと言ったら人間の名前だって名前自体はただの名前じゃないかということも言えるのだが、バンド名はその人間を直接指すのではなく、人間が生み出した結果も含めるところに差異がある。

「さん」をつけない方がバンドのためでは?

そういうことを考えていくと、バンドに「さん」をつけることで、かえって人間に近い人格を与えてしまい、記号化を阻害することになりはしないかという懸念が生まれる。

例えば、マスメディアのニュースなんかで「ロックバンドの○○さんが大規模なコンサートを開催しました」とは言わない。「ロックバンドの○○が」と言う。

「さん」という人間につける敬称をバンドにつけるということは、擬人化して人格として親近感を覚えたい、あるいは自分が親近感を持っているということを他者に知らせたいということになる。

大阪のおばちゃんが「飴ちゃん」という時に、飴を擬人化して親近感のある気安いものと認識しているのと同じで、バンドに「さん」をつけると自分たちと同じ地面に立ってしまう。

ところが、有名なバンドは手が届きづらいから有名なのだ。

バンドは有名になるにつれて、ファンからしてみるとある種の高尚さ、手の届かなさを身につける。

それが逆に憧憬や敬慕の念の対象にもなる。

そう考えると、バンドに「さん」をつけると、身近なところに引き下ろしてしまう。

そのバンドのためを真に願うなら「さん」をつけないで、記号化、キャラクター化していくのに任せた方が、そのバンドのためではないかと思う。

だって、メタリカをメタリカさんとは言わないだろっていう(笑)。

逆に、「さん」付けで呼ばれているうちはまだまだということも言える。

ソロアーティストも同様だし、バンドメンバーについても同じことが言える。

布袋寅泰はギタリスト・布袋という記号であって、布袋寅泰個人とはまた違う存在だ。

これとは別に、インタビューや対談なんかではその人そのものと話しているので、司会やインタビュアーは「○○さん」と呼ぶ。

だがそれはファンが呼ぶのとは立場と状況が異なる。

ファンがネット上なんかで第三者としてのアーティストを呼ぶときには、記号化したものを扱っているので、そのときは「さん」をつけない方がむしろより適切に伝わるのではないか。

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