社会 文化

ヴィーガンとテロリストの区別


最近ヴィーガンに関して話題があれこれあるので、それについて。

まず最初にヴィーガン (Vegan) てなんじゃらほいというと、菜食主義の一種を指す言葉。

ベジタリアンが肉と魚を食べないが、ヴィーガンは乳製品や卵なんかも食べない。

よりストイックな菜食主義がヴィーガンということになる。中にはフルーツと木の実しか食べないとか、小麦粉を食べないなんて人もいるらしい。

■ (参考) ビーガンって何?18種類のベジタリアンを全部言える?
https://shoku-nou.com/vegan18/

ベジタリアンやヴィーガンの特徴の一つとしては、自らの意思で肉や魚を食べないことを選択したということだ。

まあ中には好き嫌いや食べられないものがあるせいなのかもしれないが、菜食「主義」というからには、意思による選択であり、ある種の思想でもある。

菜食主義のことを Vegetarianism という。ヴィーガン的思想のことを完全菜食主義 Veganism というらしい。

誰が何を食べるかということは個人の選択と自由によるところなので、肉を食べたくなければどうぞ、というのが普通だし、ほとんどの菜食主義の人も、自分は野菜しか食べないけど、肉が好きな人はどうぞという。

これが多様性だ。他者の存在を許容する。趣向の違う人がいることを容認できるのが多様性。

ところが、ごく一部にそれを許容できない人、それを「悪」だと決めつけてしまう人がいる。

こうなるとそれは菜食原理主義、菜食主義過激派になる。

実際海外では肉屋が襲撃されたりして社会問題になっている。

■ 「肉屋襲撃」で揺れる仏 ヴィーガン一部過激化?
https://japan-indepth.jp/?p=42411 (Japan In-depth)

日本でもこないだ肉食に反対するデモがあったみたいだ。

■ ヴィーガン団体が渋谷でデモ予告「無関心こそが最も怖い」と代表
http://news.livedoor.com/article/detail/16446455/ (livedoor NEWS)

まあ、実際のところ、ヴィーガンは菜食主義者の中の一部で、デモをやったり肉屋に突っ込んだりするのはその中のほんのごく一部だと思う。

が、問題なのは、実際そういう行動を取る人たちが善意でやっている可能性があることだ。

ツイッターなんかでも、ヴィーガンをうたって攻撃的な行動をする人はアニマルライツ (動物愛護 / animal rights) の人だという意見も見た。

政治的目的を達成するために暴力も辞さない思想をテロリズムといい、そういう思想を取る人をテロリストという。

デモ (ンストレーション) は表現の自由に裏打ちされた権利に基づく行動だが、テロリズムは違う。テロは社会の敵だ。

イスラム教徒がテロリストではないように、菜食主義者ももちろんテロリスト予備軍ではない。

数で言えば、ベジタリアン > ヴィーガン > より純粋なヴィーガン推進派 の順だろうが、過激派、テロリストはこれらのカテゴライズとは一線を画す。

なぜなら、個人の行動である食については自分で選択し自分で完結すればよい話で、他者にそれを強いる、さらに暴力によって反対派を圧迫しようとするとなると、もうそれは全く別の話になる。

菜食主義が政治イシューであるかどうかは分かれるところだが、動物愛護や菜食主義を掲げて肉屋を襲撃するような連中は、定義上テロリストではないにしても、事実上テロリスト的ではある。

昔似たようなことを書いたのだが、(過去記事:原理主義の罠) 「こうした方が良い」が「これ以外は良くないことだ」になり、「これが良いことで、これ以外は悪」になるとマズイことになる。

食事にしても宗教にしても、本来は個人の選択によるものだ。

だが、これも「これが広まればいいな」から「これが広めるためには手段を問わない」とか「これが広まらないのは邪魔するやつがいるからだ」となると、自分が「善」でそれ以外 (中間派も含む) は「悪」になってしまう。

悪を滅ぼさない事も悪なので、悪を滅ぼすための手段はすべて正当化される。

こうして目的達成のためには手段を択ばないテロリストができあがる。

ちなみにこれをさらに煮詰めると些細な解釈の違いも許さないことになるので、テロリスト内部で粛清が始まる。

菜食にしろ動物愛護にしろ、他者に強要したり、実力を使って圧力をかけることには、強く反対する。

主張があるなら言論でやれ、と言いたい。

企業なんて営利でやってるんだから、世相が傾いてそうした方が利益になるとわかれば速やかにそっちの方に行くだろう。

自分の主張が他者に認められないからと言って、それを暴力を使ってでも認めさせるなどは、家畜にも劣る下衆の所業と言っておく。

だいたい家畜の屠殺なんて文明の発祥とともにあるような職業なんだから、文化や歴史と密接な関りがある。

それを今から覆そうとしたら膨大なエネルギーがいるはずだ。安易なヒューマニズムは害にしかならない。

歴史的に見て、人類は生きるために動物を食べてきた。肉を食べるにはその動物を殺さなければいけない。

その殺し方に問題があるのなら、その改善を提案したらいい。だが、それを殺すなというのはまた話が違う。

そしてその提案も必ず全部受け入れられるとは限らない。農業も畜産業も営利でやっている。

営利活動は効率を求める。だからニワトリは小さな小屋に押し込めて単位面積あたりのコストを下げる、という選択をする。

それをやめさせるには、その畜産業者が現状の方法よりメリットを感じるものでなければ動かない。

それに家畜は製品を効率よく生み出すために品種改良されていて、野生では生きられないものや繁殖に人間の手が必要なものもいる。

そういった家畜の檻を襲って飼育されている動物を野に放ったところで野垂れ死にさせるだけだ。

生命を無駄に散らせることになる。

というわけで、ヴィーガンが全て他者に要求を突きつける過激派だとは思わないが、過激派が言論によらず他者に強要することにも反対する。

なんかこういうのって、ポリコレやブラックライブズマターの流れに似てるな~と思う。

一見他者が反論しづらいようなド正論とおぼしきものを掲げて、常識に反することを強硬に主張したり、今までの行動を糾弾したりする。

こういう話が出てきたときは注意して見た方がいい。

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