日本語 言語

させていただき過ぎ問題


「~する」を丁寧に言うとして、「~させていただく」という言い回しが過剰ではないか?という話。

まあね、日本は「おかげさま」「おたがいさま」の国だから、「みなさまのおかげで商いさせていただいております」みたいな言葉遣いはもちろんあると思うんだけど、それにしたってちょっと使い過ぎじゃない?と思う。

丁寧に言うなら「~します」「~いたします」という言い方だってあるわけだ。

丁寧なら「させていただきます」を付ければいいと思って、「~させていただき、~させていただき、~させていただいております」と一つの文章の中で何回言えば気が済むのか(笑)。

ちなみにこれ口頭での話ね。文章だとそこまででもない。

個人的には「させていただく」には他人の存在によるというイメージがある。

ところが、それを発してるの本人はよそ様とは違う別の人なわけで、自分の意思はどこいったの?と素朴に疑問に思う。

あとは、何か言うとすぐにSNSで叩かれるご時世だから「させていただく」と皆様のお陰ですをアピールしておけば、叩かれづらいということもあるかもしれない。

たとえばどこかの会社の社長が社外向けのプレゼンで「~いたします!」と発表したときに、「客のおかげちゃうんかい、させていただきますやろ」という無駄なクレームが来るかもしれない。

そうするとめんどくさいので、初めから「させていただく」ことにしておく。

ただこれって言語の健全性としてどうなのかなと思うのよね。

そもそも言葉っていうのは、言いたいことをなるべく正確に他者に伝えるために存在し、発展してきた。

であるにもかかわらず、丁寧に言うならこれでいいだろと雑にくくるとか、クレームがめんどくさいから全部「させていただきます」でいいだろうというのは、言語の本来の趣旨から外れる。

もちろん、発話しながら「これは自分の意思だから『いたします』」、「これは他者によるものだから『させていただきます』にしよう」といちいち検証するのは実際的ではない。

正確な意思の伝達が言語の役目であるのと同時に、不必要、あるいは過剰な使い方は省略されたり使われなくなるのが、また言語でもある。

何が不必要で何が過剰なのかは、それを使う人々、それが使われている社会が決める。

その基準は曖昧かつ幅があり、しかも時期によっても変化する。

もし今後しばらく日本人が「『する』の丁寧な言い方は全部「させていただきます』でいい!」、「『いたします』なんかいらぬ!」と言えば、それはそうなる。

なぜなら「いたします」が「する」の丁寧な言い方だとみなされなくなった社会では、「いたします」と言っても「する」を丁寧に言ったことにはならないからだ。

言語は他者との共通の認識があって初めて成立する。ナイジェリア人に日本語で話しかけても通じないように。

さはさりながら、おれみたいに「いたします」連発はちょっとうっとうしいなと思っている人もいるわけで、そういう人が増えれば、「させていただく」の勢いは衰える。

かつてコンビニで「~円からお返しです」というフレーズが多用されたが、実はユーザーから不評であったことが判明し、現在ではあまり使われなくなった。

とは言っても、特に会話の中で、自分がどういう言葉遣いをしているかなんて考えている人はそんなに多くないし、しかもそれを検証している人となるともっと少ない。

多くの人はその場その場で瞬間的に発話して、相手に意図が伝わればそれでよしとするし、そもそも言葉の意義はそこにある。

そうなんだけど、より確実に自分の意思を伝えようと思ったら、もうちょっと丁寧に言葉を使った方がいいんじゃねえの?という提案。

会話するのが仕事の人、例えば講演で食ってる人やセミナー開いている人の中にはそのへん非常に上手い人がいて、話した内容をそのまま文字にしてそれを他人が読んでもだいたい意味が伝わる。

言葉遣いが的確なので、意思疎通が容易なんだな。

というわけで、おれも人前で喋ることが増えてきたから気を付けようっていう話(笑)。

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