音楽

楽曲の再現性は一つじゃないかもしれない


大きな会場のライブに行くと、ツインギターのバンドなのにドラムの横にもう一人ギタリストがいたり、キーボーディストがいたりするじゃない?

昔は「なんでメンバーじゃない人がいるんだよ!」と許せなかったんだよね(笑)。

でもよく考えたら音源とライブって再生環境も違うし、リスナーの聴いてる環境も違う。

音源で聴く場合は、聴いてる方もシラフ(笑)だし、再生環境もフルレンジスピーカーじゃないことも多い。

ライブだとステージ上も観てる方もハイになってるし、ハイパワーの巨大スピーカーで出力するけど音は濁りがちだったりする。

様々な要素、環境、要因、条件により、音源では作れるものがライブだとペラい感じだったり、ライブだといい感じなものが音源だとやり過ぎだったりする。

音源だとパーフェクトなものがライブだともっとコード感強めに欲しいな~ということになってサードギタリストが呼ばれたり、音源に入れたピアノフィーチャーの曲をやるためにキーボーディストが呼ばれたりするんだろう。

でもそんなの高校生には関係ないじゃん(笑)。

音楽に触れる媒体がほとんどラジオとCDしか無かったおれにとっては音源の音が全てだった。

CDにはアートワークしか視覚要素がない。

一方、ライブにおける資格要素は人間の感覚を埋める比率としては結構大きい。

おれのいらだちというのはたぶんそこに起因したんだろうと思う。あとは思い込みとかこっちで勝手に組み立てた想像とか。

もちろん、音源の編成でライブをやっても、ライブの編成のままで音源を作って楽曲は成立するだろうと思う。よほど変わった編成やそもそも生演奏を想定していない音楽でなければ。

ただ、それをより強く確実に表現するにはどうしたらいいかと考えた時に、アディショナルミュージシャンを起用したり、オーバーダブをしたりという発想になる。

考えてみれば、ギターが一人のバンドの音源でギターソロ中にバッキングが鳴ってることは許容できるのに、その逆でイライラするなんておかしな話だわ(笑)。

同じ曲でも聴き方によって聴こえ方が異なる。

イヤホンで聴いた時、ヘッドホンで聴いた時、スピーカーで聴いた時、その大きさ、車のスピーカーで聴いた時、雑踏を歩きながら、あるいは部屋で静かに一人聴く時。

何度自室でモニタースピーカーに正対して聞いてもピンと来ないものもあれば、渋谷の街中で意図せず耳に入ってきた音にハッとすることもある。

細かいフレーズ、速いパッセージ、隠し味的に小さなボリュームで入れられた音は広い会場では拡散してしまって聴き取りづらく、逆にシンプルであればいいかというとそれだけじゃ済まなくて、一人で音楽だけを聴いた時にはそれはそっけないものだと感じるかもしれない。

ということは、相手のシチュエーションに応じて聴かせ方を変える。言い方が良くないが、出し方を操作してより効果的に聴こえるようにしてやるという選択肢がありうる。

もちろん、繁華街の雑踏を歩いている人に対しては難しい。だがライブならそれが可能だ。

というわけで、ステージ上に人が増えることになる、という理屈。

最近ではPCからの出力でやることも多い。

まあ、方法は方法なので、結果としてより効果的に楽曲が聴き手に届くかどうかということが焦点になる。

そう考えると、楽曲の表現の仕方って一つじゃないこともあるんだろうなという気がしてくる。

音源でこう聴こえていた曲が、ライブだとまた別の表情が見えたり、その逆が起きたりする。

そうするとそのアーティストをより楽しめる。

もちろん昔のおれみたいに再現性が違うと「そうじゃなくね?」と感じたりする人もいるかもしれない。

が、まあこれは価値観や好き嫌いの問題だ。

再現性は統一したいと思う製作者もいるだろうし、そういうリスナー、オーディエンスもいるだろう。そしてそこにこだわらない、むしろ多彩な表情があることを良しとする製作者やリスナーもいるかもしれない。

人により音の作り方、出し方は様々だし、聴き方、受け取り方も十人十色だ。

まあ要するに、作る方は色々考えてるんですよっていう話。たぶんな(笑)。

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