社会 文化

表現の自由は無敵じゃない


アートを自称する展示会が中止になった件が話題なのでそれに関して。

まず当然ながら、

表現の自由を掲げれば何やってもいいってわけじゃない

なぜかと言えば、どんな芸術にも表現にも、それが自称であっても僭称であっても、社会の中に存在する。

ということは、犯罪を扇動するようなものは認められないし、不法行為は芸術にならない。

例えば、誰かを殺して首を切って生首を飾り付けて「これが私の芸術です」と言っても、それはただの人殺しだし、刑法に違反するので警察に捕まる。

例えば、「これがおれの音楽だから」と言ってライブハウスの機材を壊したり火を付けたりしたら、「てめー何やってんだコラ~!」と言ってステージから引きずり降ろされてきっちり弁償させられて出入り禁止になる(笑)。

同様に、明らかにモラルに反するものや、宗教を冒涜するようなものも芸術にはなりえない。ただの社会の敵として認定されるだけだ。

もちろん、不合理やシステムの硬直性を批判、風刺するものはあるけれど、それはギリギリの線を狙うわけだ。

みんなが内心思っていることや、わかっているけれどそういうもんだと思っているものを、「みんなこう思ってるくせに!」とか「そう思ってることが思考の硬直だ!」と暴露して、人心を刺激することは芸術になるかもしれない。

でもそういうのって結構センスがいると思うし、多くの人が思っていることの向こう側に行かないといけないから、それなりに思考が深くないといけない。

今回の愛知県のやつは、どうも思考が尾崎豊的と言うか、中学生が「反抗しているオレかっこいい」的なレベルでしかないように見える。

そういえばこのブログを独自ドメイン、独自サーバーでやりだしたのも、アメブロやその他の既存のサービスの規約の拘束を受けたくないというのも理由の一つだった。

ネットでネガティブ要素を出そうとは思ってないので、「死ね」とか「あいつむかつく」と書くつもりはないんだけど、この例えで書いた「死ね」が規約に引っかかったらヤダなと思って。

あとアメブロはメンテが長い(笑)。

2015年にフランスのシャルリーエブドという新聞社がイスラム過激派に襲撃されて死者が出る事件があった。

もちろんテロリズムは容認できないし、言論に対しては言論でやれとは思う。

が、かの新聞社がやってたことは、批判、風刺というより、侮辱、冒涜の類であって、怒る人がいるのも無理はないと思った。

絶対的な価値を置いている他者がいることがわかっているものを、過剰におとしめる行為は果たして風刺や表現の自由の美名のもとに無制限に許されるだろうか。

「てめーはおれを怒らせた」状態になったのがこの事件で、シャルリーエブドが全く真っ白の故無く襲われた存在とは思わない。

話を愛知県に戻すと、昭和天皇の写真が燃やされて踏みつけられる映像が使われていたという。

そもそも、誰かが写った写真が他者に燃やされてその映像が晒されるって良い気分にはならないよな。

それが友人知人の写真だったら猶更だし、自分の身内、彼氏彼女や奥さん旦那さんの写真が燃やされていたら「いやいや何してんのよ」と思うでしょ。

それを昭和天皇でやった。これがもうまずい。そしてセンスが無いし、程度が低い。

天皇というのは不思議な存在で、特に具体的な権力は無いが、これほど国民に親近感を持たれている公的な存在は無い。まさに権威の存在と言える。

正月や天皇誕生日の一般参賀を見ると、一分にも満たないスピーチのために数万人、数十万人が集まる。

ただご尊顔を拝したい、お声を拝聴したいというだけのために。

■憲法第一条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

これほどに国民に愛される天皇を攻撃するということは、日本に対する攻撃、国民に対する攻撃と取る人がいてもおかしくはない。

引いては、この展示をやった人も日本国民なのであれば、自分を貶めていることにもなる。

それに気づかないところが致命的だし、気づいても「あえてそれをやる」のが他者見えなかったところがダメなところ。

物理的なアートにしろ、音楽でもそうだけど、「ひねり」は他者に伝わるから「ひねり」になるわけで、ひねった感がつたわらなければ的外れで頓珍漢なものになり下がる。

金を出させたら口も出される

件の展示は「トリエンナーレ」という大きなイベントの一環としての展示だった。

そしたらそのトリエンナーレの主催者の意向、趣旨があるわけで、そこから逸脱するものは主催者から排除される。

この点を「表現の自由」と絡めたがる人がいるが、トリエンナーレは愛知県の事業としてやっているもので、これは「税金をどう使うか」という話だ。

税金を使って自分たちや自国をおとしめるものを展示されたら、税金を払っている国民、愛知県民が怒るのは当然だ。

何をやっても排除されたくないというのなら、他の画廊や展示スペースを使う選択肢がある。

そういう意味で、表現の自由は確保されている。

しかも、実際に展示をやったから批判されたわけで、やる前から抗議が殺到して中止に追い込まれるということよりはよほど健全だ。

もし本当に100%好きなことを好きにやりたいというのであれば、誰の力も借りずに半径10キロ誰もいない原野でやればいい。

日本にはそういう選択肢がある。(そういう土地があるかどうかはともかく)

まあ、誰も観に来れない展示がアートになりうるかはおれにはわからないけれど(笑)。

でも今だったら動画取ってYouTubeにアップするとかあるじゃない?

まあとにかく、他人の力を借りたり、他人に金を出させたりしたら、その人の意向が働くのは当然だよ。

今回の件が大騒ぎになっているのは、公的なイベントで国の象徴である天皇をおとしめたり、特攻隊員を侮辱するような展示をしたからだ。

どこかの有料レンタルスペースで「場所は貸すし、そこでやる内容は関知しない」というところがあって、そこで同じ展示をやっていれば「こいつらバカだな」で済んだかもしれない。

というわけで、単にやり方がまずかっただけで、表現の自由は棄損されていない。

そして表現の自由は無敵じゃないし、自由というからには責任が伴う。

何かを人前に展示したらその内容について批判される可能性はあるし、やるからにはその可能性を予見できなかったと言ってはいけない。

なにしろこんな個人ブログにさえ、時々罵倒だけのコメントが来るのだぞ!(笑)。(批判じゃないものは削除してるけど)

金は出せ、口は出すな。表現の自由を掲げたら何やってもいい、ってのはいい大人のやることじゃないんだよね。そういうのは中学生までだ。

そして戦争を批判するんならもっと上手なやり方があるんじゃないかしらね。

そのへんも含めて叩かれてるんじゃないかしら。

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