雑記

自由の再定義


学生の頃、人並みに「自由が欲しい」病にかかった時期があった。

親が教育熱心な家だったので、あれしろこれしろあれするなこれするなとうるさかった。だから用が無くても外を自転車で徘徊してた。

中学はぼちぼち締め付けが厳しいところだったから、こんなところは早く抜け出して高校は自由なところに行こうと思った。

近所の都立高校は制服や体操着もないような校則がほとんどないところだった。

ところが、その学校は学区でも偏差値の高いところだったから入試の倍率も高かった。つまり、そこに通うためには学校の勉強ができないといけなかった。

これはとても不思議なことだった。

自由になりたいと思ったら、今の状況をより突き詰めないといけなかった。

おかげさまで希望していた都立高校に通うことになった。

高校で陸上部と並行して軽音部に入った。

単純にバンドをやりたかったのが一番大きかったが、音楽で自由を表現できると聞いたのもあった。

自由を表現するってことは、自由になれるってことじゃね?と思った。

ところが音楽は案外自由じゃなかった。

楽譜にない音を弾くと間違ってると言われたし、ギターから始まるイントロでギタリストがめっちゃ速く始めたり、ドラマーのカウントがおれが思ってるより遅かったりするとそれに合わせないといけなかった。

枠があってこその自由だった

ここで定義を問い直すことにする。

たぶん、学生の頃のおれが思っていた自由とは、無秩序や無法のことだったんだと思う。

そして、ほかのみんなは従来の枠に中にいて、自分だけがそこからはみ出すことだったろうと思う。

学校で集団で時間を過ごすには秩序が必要だし、音楽を複数人で演奏するにはルールが必要だ。

そこから枠組みを取り払うということは、そこにいる全員がルールの適用を受けないということになる。

それはおれの望んでいた自由の状態だっただろうか。

勉強しなくていい、授業を受けなくていい、学校に来なくていい。

それは裏を返せば、「あなたは学校の枠組みから外れました。だから学校に来てはいけません」ということにもなる。

はたして、それはおれが望んでいた状況だっただろうか。

たぶん違うと思う。

そこまでの状況は望んでいなかったし、そもそもそこまで深く考えていなかった。

そんな時期からだいぶ年月が経ち、いろんなことを考えるようになった。

社会体制にしろ音楽にしろ、ここでこうして文字を綴ることにしろ、枠組みの中で何をどうするかという選択肢のことを自由というのだと考えるようになった。

どんな職業に就くか、このキーのこのコード進行の中でどんなベースラインを弾くか、あるいは弾かないということすら選択肢になる。

既存のブログサービスの規約に縛られないために自分でドメインを取得して自分でサーバーを手配した。

ドメイン取得者は個人情報が公表されるリスクがある。サーバーは有償で借りている。

HTML手打ちは面倒くさいのでWordpressを導入した。そのためにはJavaScriptやPHPの知識が必要だった。

自由を得るためには知識と技術と金とそのほか色々なものが必要だった。

仕事をするには業務のための知識が必要だし、楽器も演奏技術と機材が必要だ。

必要なものは金を出してそれを持っている他人から買ってでも手に入れねばならないし、それを習得するための時間と労力と根気が必要だった。

それは、ある枠組みの中で何をどうするかの選択肢を増やすためであり、その選択をいつでも取り出せるようにするためだった。

それを今は自由と言う。おれが学生の頃に思っていたのとはおよそ異なるものだ。

まあなにしろ、自由 = 解放 = 新天地だと思ってドイツにまで行った人間なので、勘違いの規模もだいぶでかい(笑)。

ドイツにいるときの不自由さったら無かったね。まず言葉が通じない。学生寮に風呂が無くてシャワーしかない。米が食えない。

そりゃ電車で3時間かけて行ったベルリンの日本料理屋でカツ丼に1500円出すわ。

まあそれはいいとして。

「○○の自由」というのがある。言論の自由、表現の自由、職業選択の自由、移動の自由などなど。

これらも同様になんでもかんでもやっていいというわけではない。

犯罪行為は認められないし、表現の自由だからと言って誰かを根拠なく侮辱していいわけでもない。

「公共の福祉に反しない限り」という制限がつく。

それに、表現を世に出したら批評を受ける。良くないとかダサいとかわかってないとか、それはもう本当に色々と。

自由を行使するには覚悟がいるし、責任が伴う。

批判されるし、批評されるし、それこそ間違った思い込み(とこちらには思える)による攻撃を受けることもある。

職業選択の自由を行使して転職しても、転職先がブラック企業かもしれないし、収入が落ちるかもしれない。

でもそれは自分の選択の結果で、選択には色々と責任が伴う。

それでもなお自由があることの良さというのは、より良い表現を出しなおせば良いし、こんなブラック企業やってられるかー!と言って再度転職できるところにある。

そしてそれらにも、再度責任が伴う。

だから自由を得るということ、自由を行使するということは結構大変なことで、中学生が軽々しく言えることじゃなかったんだな~と思う。

-雑記

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。