政治


数の論理を否定すると民主主義が死ぬ


よく野党が与党を批判して言うのさ。「数の論理で云々」ってさ。

でも民主主義って「最大多数の最大幸福」を追求するのが使命なのよね。

なるべく多くの人ができるだけ幸せになるようにって。

てことは数の論理そのものなんだよ。

もちろん多数を取った勢力の言うことが全て正しいとは限らない。

少数勢力の中にも良いことを言う人はいる。

したがって、多数は少数を駆逐あるいは無視してよいということにはならない。

ただそれも限度がある。

それは多数勢力の利益を侵さない程度まで。

そうしないと多数勢力の意見が侵害されたことになる。

そのすり合わせを妥協、あるいは政治と言うんだろうと思う。

だから、数の論理を否定することは民主主義の否定だし、数の論理で社会を構築していくための選挙だ。

それはすなわち、馬鹿が多いと馬鹿な政治家が生まれ、馬鹿に支持された馬鹿な政治家が多数派となり、馬鹿な政治が実現される。

結果、国が滅んだりする。福沢諭吉マジ賢い。

「民」の「主」体的な参加を常に要求する政治体制を旨とする主義、すなわち民主主義。

だから選挙で投票することは、日本では権利だけど、実は義務ですらある。

実際に海外では選挙に行かない人には罰金が科されたり、アメリカのように「おれは選挙に行くから選挙権をくれ」と有権者登録をしないと選挙権が与えられないところもある。

国籍があるだけで投票用紙が送られてくる日本は、民にだいぶ優しい。

実際、日本の選挙も有権者登録制にしたら、投票率上がるんじゃない?母数を削るという発想で。

ただ、その場合、今まで興味無かった人が「選挙行ってみようかな」と思った時に登録してないので投票できないという可能性があり、可能性を封じるという意味でまあ良い制度かどうかは議論のあるところだ。

海外では民主主義でないところもある

たとえば、今の香港。

数の論理によらない選挙制度。本土からの露骨な浸食を容認するような立法を阻止するために大規模なデモが起きている。

民主主義によらない政治制度の国では、政治を動かすには命をかけねばならないこともある。

日本のように法治主義と民主主義が徹底されている国では、政治を変えるなら世論を喚起して選挙に行けばいい。あるいは選挙に出ればいい。命を懸ける必要は無い。

あるいはロシア。

反プーチンを主張する人が大統領選挙に出馬しようとしると様々な圧力がかかり出馬できなくなったり、あるいは強硬に出馬しようとして暗殺されたりする。

あるいはアフリカの某国。

大統領べったりの軍隊に投票を監視されながら大統領に賛成する票を入れないと生きて帰れない。選挙に行かなくても命が危ない。

そういうところもある。そもそも選挙が無い国もあったりする。

世界の状況を見ると、日本の民主主義と政治はまだだいぶマシなんじゃないかと思う。

まあ「(ある意味での)下」を見て「下には下がいる」と言っても仕方がないことなのではあるけれど。

いずれにしろ、国民一人一人が政治に参加する意識を持って、かつ賢くならないと政治は良くならない。

なぜなら「民」が「主」体の民主主義だから。

国民がそんなに意識しなくても国家が発展していった昭和の時期はある意味では良い時代だったのかもしれない。

ただ、一方で「最も成功した社会主義国」なんて言われてしまっていたことを考えると、実はシャレになってなかったりするのだが。

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