社会

犯罪被害者の実名は報道されるべきか否か


京都アニメーションでの殺人事件に関して、被害者の実名が公表された。

既に遺族が同意して公表されたものとは別に、遺族が同意していないものでも全被害者の実名が公表された。

「遺族の非公表の意思を拒否してでも実名報道する」という点について、個人的にもなぜそこまでしないといけないのかわからなかった。

これを書いている時点でのTwitterを見る限り、賛否で言えば否の方が圧倒的に多いように見受けられる。

この件について項目ごとに検討してみたいと思う。

「犯罪報道は実名」の原則

今回一番腑に落ちることを言っていたのはこれ。

■「実名報道をするのは真実であることを保証するため」メディアが実名報道にこだわる理由
https://togetter.com/li/1393038 (togetter)

----------引用開始----------
実名報道をする理由。それは真実であることを保証するためです。もしも警察が、殺人事件がありました、被害者の名前は言えませんと発表し、マスコミも「ある人が殺されました。名前は言えません」と報じたらどうなるか。事件が本当に起こったのかどうか、当事者以外誰にも確証が持てなくなってしまう。
----------引用終了----------

これは大元の原則の話。

以前、キャスターの辛坊治郎氏がラジオで言っていたのもこれと同様。

「何月何日、どこの誰がどんな犯罪で捕まりました。被害者はこの人です。」という報道があるとする。

これが、「何月何日、どこの誰がどんな犯罪で捕まりました。被害者は言えません。」となると、それって本当に起こった事件なの?という疑問を解消できない。

犯罪被害者と加害者の両方を公表することで、客観性、検証可能性を担保している。要するに、部外者から見て「こういう事件が起こったのだ」と確認できるようにする目的だ。

これが大原則。

京アニの事件はそうじゃねーじゃんと思った、そこのあなた!それはまだ早い。

第三者がその事件が本当に起こったのだということを確認できるということは本当に大事なことだ。

これはどっちかと言うと犯罪加害者の実名報道についての話なんだけど、どこの誰がいつどこの警察に逮捕されたかということが公表されることは、そうでない身体拘束を防ぐことにつながる。

つまり、「昨日殺人事件が起きました。一人逮捕しました。名前は言えません。被害者も言えません。」だと、そもそもそんな事件があったの?というところから検証しないといけない。

これは警察による不当な逮捕を防ぐ意味がある。加害者と被害者が公表され、それをマスメディアが報道することで、この逮捕は適法かどうかという検証がなされる。

実名報道が全くないと何が起きるか

そういえば98年に当時住んでいた旧東ドイツの街で小規模なフィールドワークをやったことがある。卒論とは全く関係なかったし回答数が50人程度だったのであまり学術的な意味はなかったが。

問うたのは「ベルリンの壁崩壊以前と以後で何が良くなって何が悪くなったか」。

そこで結構な人数が「良くなったこと」として挙げていたのは、「シュタージがなくなったこと」だった。

シュタージ(Stasi)は東ドイツの秘密警察で、その任務は対外情報工作、国内では防諜、反体制派の摘発、そのための国民の監視だった。

東ドイツのような一党独裁の国では、(推測だが)秘密警察が誰かを逮捕しに家に来るとしてもご丁寧に令状持っては来ないだろう。

その令状があったとしても適法性を検証できないし、誰が逮捕されたのかも公表されない。

結果、ある日突然隣家から人がいなくなる、前触れなく父親が仕事から帰ってこない、ということが起きる。

いなくなった人はどうやら官憲に連行されたようだが、どこに連れていかれたのかも、なぜ連れていかれたのかもわからない。

役所や警察に問い合わせてもわからないどころか、逆に身の危険を感じる始末。

とらわれた人がその後どうなったのかもわからない。犯罪で服役しているのか、すでに処刑されているのか、国家の一部しか知らない。

こういうことが起きないように、犯罪報道は原則実名、とされている。

実名原則への反論

加害者と被害者が実名で報道されることには一定の長所があるということについてはご理解いただけたのではないかと思う。

じゃあこれを個別のケースに当てはめてみる。

原則の適用が甘い

京アニ事件以外の犯罪報道を見てみると、被害者どころか加害者(報道時点では容疑者)でさえ「男」とか「○○容疑者ら三名」というようなぼかした表現がされることがある。

このような扱いの事件報道では当然ながら被害者の名前は報道されない。

事件が小さければ原則の適用があいまいで、京アニ事件のような大事件ならば原則がきっちり適用されるというのであれば、じゃあその線引きは誰が決めてんの?という疑問は出てくる。

その線引きを決めるのがマスメディアというのであれば、「原則」を掲げるがその実、恣意的な報道をしていると言われても仕方あるまい。

大事件でも被害者が公表されなかったこともある

2016年に相模原の障害者施設で起きた事件では、19人が死亡、26人が重軽傷という稀に見る大事件だった。

ところがこの事件では、死亡者どころか負傷者の氏名も公表されなかった。

理由は「障害者だから」。(ソースは以下の記事)

■被害者の「匿名問題」に隠された障害者差別という現実
https://ironna.jp/article/8141?p=1 (iRONNA)

犯罪被害者は、障害者だと報道されなくて、健常者だと遺族が拒否しても公表されるとなれば、それって健常者に対する逆差別じゃないか?

障害者は大切に扱って遺族の意向に沿う、健常者ならば遺族の意向に関わらず報道する。

さてさて、原則ってなんでしょうね?

既に公表されている10名で検証可能性は担保されているのでは?

京アニ事件では、すでに遺族が公表に同意した10名の氏名が公表されている。

この時点で、「実名報道の原則」でいうところの真実性の担保、検証可能性の確保は十分にされているのではないだろうか。

「~さん、以上10名を含む合計35名の被害者」で十分なのではないだろうか。

他方、35人中の10人ならよくて、例えば被害者3人の事件があったとして実名公表に同意したのが1名だったらどうなのか?という疑問は残る。

10/35なら残りは公表しないでOKで、1/3なら残り2/3は公表しないことで真実性は確保されるのか?

そもそも被害者の何割が公表されたら事件の真実性は社会に残るのか?線引きできるものなのか?

線引きできないから全員公表なのだとしたら、相模原の事件は真実性が疑われてもよいということか?

など人数で線引きすることについては、かなり疑問の余地が残る。

結局「オイシイ」かどうかなんじゃないの?

少年犯罪については少年法61条により「加害者/容疑者」の実名報道を規制する条文があるようだ。

■少年法第61条
家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。

最近少年事件でも実名報道するメディアがあるのは、罰則規定がないからだろう。

だがここでも被害者の氏名に関する規定はない。

Wikipediaの「実名報道」のページでは、憲法による表現の自由が幸福追求権からの派生であるプライバシーの尊重に優越する、というようなことが書かれている。

だが、ググっただけではあるが、結局明確な根拠となるものは、この記事の最初に書いた「原則」に基づいたマスメディアの主張以外にないように思われる。

少なくとも明文化された法的根拠があるものではないと言ってよいものだろう。

■【京都アニメーション】実名報道に反対異議ありのツイートまとめ【被害者遺族の気持ち】
https://togetter.com/li/1394981 (togetter)

警察は基本的に実名全公表の方針で、マスメディアは報道の自由を盾に拡散しようとするというのが基本的な構造のようだ。

最初に書いたように、警察は自らの職務執行の真実性を担保する目的があるので、被害者氏名を公表するだろう。

マスメディアはそれを拡散する能力があるが、今回の事件のようにすでに10名の氏名が公表されている事件について、全員の公表をする必要があるかどうかということについて報じたところはないように思われる。

8/20に京都府内に取材拠点を持つ報道機関12社でつくる在洛新聞放送編集責任者会議が京アニ事件の被害者氏名の速やかな公表を求める申し入れを行った。

■身元公表で申し入れ=京アニ事件で報道各社-京都
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019082000979&g=soc (JIJI.COM)

この記事の中で「事件の全体像が正確に伝わらない」としているが、果たしてそうだろうか。

穿った見方かもしれないが、早く公表してくれないとニュースの賞味期限が切れて旨味がなくなってしまうからマスメディアが焦ったんじゃないかと推測してしまう。

もう一ヶ月以上経ってるじゃん!ニュース性がなくなっちゃう!と警察をせっついたのではないだろうか。

マスメディアはそれぞれ営利企業なので、その報道によって耳目を集め利益を得ようとする。

より速く、より内容の濃い記事を掲載した発行物は売れ、あるいはそれを掲載したネット上の記事にアクセスが多く集まり広告収入を手にすることができる。

報道とは営利活動を基盤にしているものなのだ。全部ではないとしても。

反対派の懸念

犯罪被害者への取材というのは、そもそもなんというか、倫理的にグレーな部分が多い。

身内に重大な事象が起きて動揺している被害者家族へのアプローチは、普通だったら「そっとしといてやれよ」と思うところ、報道における社会性の重大さを身にまとって敢行するのだ。

近年、特にネット上で指摘されているのは、マスメディアの取材時における姿勢だ。

取材対象者のプライバシーに土足で踏み込んだり、同意を得ずに情報を拡散したり、意図に反する、あるいは意図と異なる報道をしたりするケースが指摘されている。

今回の事件でも、氏名が公表されたことにより、新たに公表された被害者の家族、友人知人、関係者へマスメディアの取材が行くことだろう。

それが果たして事件の全容を解明することになるのだろうか。全容は逮捕された犯人の裁判で解明されるのではないだろうか。

事件の社会性を確保することにつながるのだろうか。10名の公表で十分なのではないだろうか。

マスメディアのメシのタネにされるだけなのではないだろうか。

マスメディアの自己満足のために被害者家族のプライバシーが踏み荒らされ、度重なる接触(とその企図)により精神的なショックからの回復が遅れるのではないだろうか。

実名公表を反対する人々には、こういった懸念を持っている。

そもそもの大問題

そもそも京アニ事件のこの点が大きな議論となっているのは、以下の二つの大きな問題点がある。

■実名報道の原則やその意義が人口に全く膾炙していない
■マスメディアの取材/報道姿勢に対する疑念

現在のネット社会で個人が自由に情報発信をできるようになったとはいえ、その基盤はマスメディアの報道によるところが大きい。

だが、年々信頼度が下がっているマスメディアがこの事件での対応を誤れば、自らの存在意義を棄損することになりかねない。

この記事一つで実名報道の可否について断じるつもりはないが、個人がやってほしくないと思うことが、公的機関によって公にされ、大きな力をもつ勢力によって拡散され、その拡散のために遺族の心の傷が根掘り葉掘りされるというのはどうなんだろう?事件報道っていったい何のためにあるのだろう?という疑義は持ってしまう。

とにもかくにも、マスメディア諸社には遺族とその周辺に対して十分配慮してほしいと願う次第。

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