社会

ターニングポイントと見えない連続性


やはり9月11日と聞くと、3月11日とは違った意味で色々と考える。

あの日夜遅く家に帰ってきて遅い夕飯を食べていたら、当時動き始めたばかりの前のバンドXECSNOINのボーカルから電話がかかってきた。

「アメリカでビルに飛行機が突っ込んでる。テレビ見てみろ」

半信半疑でテレビをつけたところ、本当に高層ビルに航空機が突入して黒煙をあげていた。

後にアメリカ同時多発テロ事件と呼ばれる大事件の様子をそれからリアルタイムで見ていた。

ミレニアム騒動から一年以上が経っていて、数字の上では21世紀になっていたわけだけど、世紀が変わったからと言って特に何か自分の生活が劇的に変わると言うこともなかったので、何かの節目を超えたという意識は無かった。

が、この事件の様子を見て、「あ、時代が変わったんだ」と直感的に感じた。

なにしろやり方が前代未聞、空前絶後だったし、貿易センタービルが大炎上して倒壊、ほとんど跡形もの無くなったこと、それによる全米の空港閉鎖、米本土への攻撃という衝撃的な事実とそれによる死傷者数の多さ、その後のアメリカ政府のテロとの戦いの宣言、アメリカ人の意識の変化、様々なそれまでになかったものが短期間に噴出した。

まあ各種の陰謀論とかビルの倒壊が不自然だとかいう話は今はおいておく。

あの事件以降、イスラム原理主義のテロリストが各地でテロを起こし、宗教的な対立が国家を超えて世界中に伝播することが明確になった。

結果、その後のイスラム国(ISIL)やシャルリーエブド事件なんかにもつながったとも言える。

逆にさかのぼれば、湾岸戦争、イランイラク戦争などアメリカが中東に手を入れた際に、アルカイーダを生み出したことも明らかになった。

その原因は冷戦構造にあり、それは第二次世界大戦が要因になっているわけで、第二次大戦は第一次大戦があって...と言う風に関連性の連なりがわかる。

歴史に残るような大事件は突然起こるように見える。だが、大事件は突然起きない。

もちろん一般人の目に見える事象は氷山の一角でしかない。

我々の目に見えない、あるいは我々があまり意識しないことがいくつも積み重なった結果として大きな事件が発生し、それを見て我々は驚く。

たとえば世界初の生物化学兵器を使用したテロ事件である地下鉄サリン事件、極左のテロ組織が起こしたあさま山荘事件、国内でも大きな事件はいくつも起こっている。

後から考えれば、当時彼らはこんなとんでもないことを計画していたということがわかる。

だが、目の前にある事象が衝撃的だということもあって、その時はあまりよくわからない。

オウム真理教なんて選挙になると駅前で踊ってる変な人たち、秋葉原でパソコンのパーツ売ってる変な店がある、くらいにしか思ってなかった人が多かった。

ところがサリンは製造するし、ロシアから軍用ヘリを調達して都心の攻撃を考えていたり、組織内で殺人が起きていたりしたことが、後からわかる。

あさま山荘事件にしても、連合赤軍なんて当時ですら「まだいたのか」という風潮だったのに、世間の耳目を集める大事件となった。

そしてどの事件にもそこに至る経緯がある。

テロリストは突然山荘で立てこもり事件は起こさないし、ある日突然サリンをまき散らすカルト団体が湧いて出てくるわけではない。

発端はずっと前に作り出され、種々の経緯を経て一つの事件/事象に至る。

発生当時はわからなかった情報が発掘され、時系列や事象が整理されて、後日我々はその全貌を知る。

もちろん社会を危機に陥れるような事件を未然に防ぐことも重要だが、その時では防げないことももちろんある。

過去の経験からこういった民間人が死傷する事件を二度と起こさないよう学習する。

そこに我々が歴史を学ぶ意義がある。

その事象が起きたという速報では、それが起きたということしかわからない。

それがなぜ、どうして、どうやって起きたのかを学習し、それを繰り返さない対策を講じる。

こうすることでより良い社会を構成することができる。

もちろん二度とそれを起こさせないために警察官になる人もいるだろうし、政府の職員を目指すことも効果がある。

だが、それ以外の多くの人が、それがなぜ起きたのかを知っているだけで、同じ事件を起きにくくする効果がある。

社会は沢山の「私」と「我々」でできている。

地下鉄サリン事件以降、日本国内ではそれに匹敵するような大きなテロ事件は起きてない。

警察や公安が機能して未然に防いでいるせいなのか、それとも単にそういうよからぬことを企む組織がいないだけなのかはわからない。

だが、テロリズムの国際化に伴って、それがいつまで続くかわからない。早いか遅いかの話でいずれ起きるだろうと言う人もいる。

目的が正しければどんな手段でも正当化されるというのがテロリストによくある言い草だが、民主主義の社会、法治国家ではそれを許さない。

文句があるなら言論でやれ!何がどうでも暴力や恐怖で何者かの意図を訴求させることはまかりならぬ!という意識を我々一人々々が強く持つ必要がある。

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