社会 文化

検索と教養

2019/09/30


文字が生まれて、人間は記録を残すようになった。

出版が生まれて、記録をより広く共有できるようになった。

グーテンベルクの活版印刷は、それを大衆の手にまで広めることに役立った。

そして、21世紀になり、ネットワークの普及は同時に情報の蓄積の恩恵を個人に直接もたらすようになった。

検索エンジンの進化も相まって、たいがいのことは検索すればその場でわかるようになった。

さればここで問う。

検索すればいいからといって、記憶は不要だろうか?

堀江貴文氏みたいな合理主義の塊みたいな人は検索すればいいから学校での知識の教育なんて不要というようなことを言う。

彼のやってきたライブドアはインターネットの勃興期にそれを加速させる役割を果たしただろう。

彼は発想の方が重要だと言うだろう。

だが、その発想も過去の蓄積を吸収したからこそ生まれるものだ。

新しい発想を生み出すには、過去に人類が経験したことを踏まえる必要がある。でなければ新しいものにはならない。

そして、発想を生み出すものが人間であるならば、それは人間の頭が生み出すのであって、そこには記憶がある。

記憶された情報を組み合わせることで、新しい発想が生まれる。

であるならば、記憶が不要ということにはならない。

教養の重要さがむしろより問われる

集積された記憶を文化的にとらえると、それを教養と言う。

検索すればなんでもわかる時代になると、過去に名作とされた作品、その作者、それが世に出た年、その評価、それが他に与えた影響。こういったものはすぐにわかる。

しかし、それが本当にどういものかは結局手にしてみないとわからない。

触れてみて体験してみて、そこで初めてその人にとってのその作品の評価が発生する。

名作はやはり名作だと思うかもしれないし、名作でもピンとこないものもある。

面白くは無いけど興味深い作品、なんていうものもあるかもしれない。

そのジャンルの流れを追っていくと、その時点では斬新な作風だったということがわかるかもしれない。

作品についての周辺情報が手軽に手にできるようになるからこそ、それを自分がどう判断するかということがより重要になる。

つまり、「知ってるけど読んだことはない」「有名だけど聴いたことはない」が増える中で、それを経験している人がより文化的な存在になる。

検索しかしない人と、現物に触れる人の差は年を追うごとに大きくなるだろう。

そして検索を利用して目的のものに効率的にたどり着けるようになる時代では、「浅く広く」よりさらに「広く深く」教養を蓄積する人がより重視されるようになるのではないか。

個人的にも、検索してレビュー読んだからってその作品が「自分にとってどうか」がわかるわけじゃないからね、と思う。

検索の仕方

「検索すればたいていのことはわかる」というが、実は検索にも上手い下手がある。

検索エンジンの特性を理解して、こういう用語を入れればこういう情報が得られるだろうと想定して検索する人は望む情報をより短時間に手に入れられる。

一方、思った言葉をそのまま検索欄に入れても今の段階ではあまり効率的な検索にはならない。

てにをはは省いた方が良いし、結果として何を知りたいかではなくて、「わからない」が先に出てしまうと効果的な検索はできない。

それは、慣れややり方の習得でもあるのだが、一番大事なのは論理的な思考ができるかどうかだ。

検索はプログラム(検索エンジンのアルゴリズム)を利用するものなので、人間に向かって「これがわからないんだけど」と言ったら自分が何を知りたいかを相手が推測して回答してくれるものとは(今のところは)違う。

例えばパソコンが不具合を起こしたとして、「パソコン 壊れた」と「(メーカー名) (エラーコード)」で得られる結果は大きく異なるように。

検索は体験を超えられない

ネットワーク上の情報を検索することにより得られる情報はとても多い。

一方で、検索は情報は出してくれるが、個人の体験は人間が自分でやるしかない。

何らかの作品の評価を参考にすることはできても、その作品がその人にとってどうかは結局自分で試すしかない。

それは検索の担当領域ではないからだ。

検索で教養を代替できるできないという話ではなく、それは分野の異なるものだということは認識しておいた方がいい。

それに、作品について詳細な情報が得られて、こういう構造になっていて、伏線はこうで、って知ってからその作品に触れるって、攻略サイト見ながらゲームやるようなもんじゃない?

まあそういうやり方が好きな人がいたら,止めはしないんだけど。

両方活用しよう

検索だけで世の中全てわかるわけじゃないし、教養と記憶だけで何でも理解できるわけじゃない。人間が一人で蓄積できる記憶も体験できる量も限度がある。

だからこそ出版が普及し、ネットワークが発達したわけだ。みんながより多くのことを知りたいと思ったがために。

だから両方活用すればよりよい結果が得られる可能性が高まる。

ネット通販でとある作家のあまり知られていない短編集が買えたりするし、オークションで廃盤になったドマイナーな音楽を手に入れられることもある。

それはネットワークと検索でモノを仕入れて、その後に体験するという両方を活用した行為なわけで、どちらかを否定する人にはできないことだ。

根本的には人間が主体的に動くことから始まるわけだけれど、目的のために手段をどうするかを考慮するところに人間の知恵が活きる。

-社会, 文化

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。