文化

気づいて引っかかる作品の話


本を読んだり、音楽を聴いていたりして、ある瞬間に「あ、これってこういうことか」と気づくことがある。

小説や漫画だったら伏線の回収やふとしたセリフの裏の意味が理解できたりする。

あるいは音楽であれば、構造的な理解がひらめいたり、さっき鳴ってたあの変な音はこの呼び水だったのかとか、歌詞のダブルミーニングがわかったりする。

ジュラシック・パークの話

そういうひらめき体験がいつからだろうかと思い返してみると、記憶に残っている中で最初にそういう経験をしたのは、映画の「ジュラシック・パーク」だったように思う。

今では映画なんて一人ないし二人程度で観に行くのが良いと思っているが、ジュラシックパークの公開当時、つまり1993年のおれは珍しく友達と集団で映画館に観に行っていた。

見始めた当初から何やら違和感があったのだが、途中で「あ、これ、映像が凝ってて音響がでかいだけで、話としてはすごくベタな話だ」と気づいた。

気づいてしまったんだな。友達と集団で観に行ってるのに(笑)。

まあ、大衆娯楽向けのハリウッド映画に何を言っているのかとも言えるし、生命をどう扱うべきなのかみたいなテーマがあったと思う。

ただ、大枠としては、トラブった→解決した→ハッピーエンドでおつかれさん、という王道と言うのも憚られるようなテンプレストーリーだと感じたんだな。

あと恐竜に襲われるシーンが長すぎた。ってそれを楽しみに行く映画なんだけども。

で、その後大変だったんだよね。

一緒に見に行った連中が口々に「映像がすごかった」「Tレックスの迫力が」とか言ってる中で、とてもじゃないけど「ストーリーが退屈だった」とは言えないわけで(笑)。

そのくらいは空気読むですよ。

それ以来、どうも集団で映画に行くのは好みが合わなかった時に良くないことになると感じ、映画館にはごく少人数で行くようになり、TSUTAYAのレンタルになり、今ではAmazon Primeで済ますようになっているという具合。

フォーン・ブースの話

コリン・ファレルというアイルランド人俳優が主演の「フォーン・ブース」(2003年)という映画がある。これも「気づいた」ものの一つ。

これは確かツタヤのレンタルで家で見てたと思うんだけど、とても印象的な映画。

この映画、ほぼコリン・ファレルの一人芝居でできていて、しかもシーンが電話ボックスの中で長尺のセリフをずっと言いまくることで話が進んでいくというかなり変わったサスペンス映画。

一応家族が誘拐されて犯人に指示されて電話ボックスの中にこもるという設定なんだけど、その家族の描写もちらっとしか出てこない。

犯人の声が24とかで有名なキーファー・サザーランドなんだけど、この記事書くのにWiki見て「キーファー・サザーランド出てたんだ!」というくらいに顔は出てこない。

で、これを観ていて、ある瞬間に「ん?これってさっきからほとんど主人公の一人芝居でできてる?」と気づく。

気づいた時は結構衝撃的だったんだよね。

そんなにマニアックな映画を見る方ではないんだけど、メジャーリリースな作品でもこんな変わった作りの映画があるんだなというのと、一人で延々と映画をもたせてしまうコリン・ファレルすげえなっていうのと両方で。

こういう気づいた経験をさせてくれた作品というのは、結構印象的で記憶に残る。そのため、その後好きな映画なんかを訊かれたときによく「フォーン・ブース」を挙げていたように思う。

まあ、そんなに有名な作品じゃないのでたいていの人には知らないと言われるんだが(笑)。

何日か前の記事でも似たようなことを書いたんだけど、こういう何かがハマる経験というのは、その作品とそれを観る人の組み合わせが良くないと発生しない。

見え見えの伏線でも気づかない人もいるし、ほとんど誰も気づかないよくそんなところ気づいたなというところが印象に残ることもある。

映画で言えば、もちろん単純に話が面白いとか芝居が素晴らしいとか映像が凝ってるとか音響がとか色々あるんだけど、こういう「引っかかる」作品に出合うと、なんか幸せな気分になるんだよね。

そういえば芝居が素晴らしいで言えば、邦画で「この人の芝居がなかったらこの作品は崩壊してたな~」というのに何度か出会ったことがある。

そういうのはたいてビッグネームが主人公ではない役どころで出ていて、その人の存在感や鬼気迫る芝居がその作品の延命に貢献している。

それに気づいた時には「本当にご苦労様でした」「収めていただいてありがとうございました」と言いたくなる。脚本家ちゃんとして!(笑)

事は映画に限らないけど、時々そういう印象的な作品に出合うから、それを探し求めて色々手を伸ばして鑑賞してしまう、というのは確実にあるよね。

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