日本語 言語

「は?」ってなるっていうのはある。


時々やる日本語の新しい使い方に注目するコーナー。

今回は、この二つ。

■「は?」ってなる
■ていうのはある

「は?」ってなる

若年層でよく使われる口語表現、あるいはSNS上での表現。

主に、意に沿わないことが起こった時に使われる。

この表現を使うことで、意外なことが起きたのと同時に、憤りを感じたり、混乱や動揺したり、それを処理しきれない様子を表す。

このあと、「え?」「ちょw」「待って」「どういうこと?」などが付随して記されることが多い。

これは、通常の落ち着いた状態から、何か意外な、あるいは動揺を誘うような事象が起きたことを、感嘆の「は?」と「となる」という状態の変化を表す動詞で、非常に直接的に表現したもの。

通常の文章表現であれば、「驚いた」や「意外だった」あるいは「腹が立った」と変化してどうなったか記すところを、感情が変化したこと自体をそのまま表記している。

瞬間的、直感的な表現が好まれるSNS上での表現、さらに若年層に多く見られる点で、ある意味で幼い表現とも言えるが、一昔前のギャル語のように新しい造語というわけでもなければ文法的に何かを追加しているわけでもなく、平易な表現であることから、浸透しやすさという点ではただならぬポテンシャルがある。

今これを使っている世代があと20年くらいこれを使い続けたら、これは日本語の表現としてスタンダードなもののひとつになるかもしれない。

感情が大きく動いたことだけを表現して、具体的にはどうだったかが二の次という意味では、「ヤバい」と同種ともいえる。

ていうのはある

特に口語表現で用いられる、婉曲表現の一種のように思われる。

主に、自分の意見などを表明した後に、これを付加することで、可能性の分散を行う効果と語調を整える効果がある。

例えば、殺人事件が起きた際のワイドショーで犯人の同級生がインタビューに答えて「なんとかやりようがなかったのかな、っていうのはありますよね」などという具合に使う。

「なんとかやりようがあっただろうと思います」ではおそらく表現として強すぎると感じた場合、あるいは可能性の一つとして提示していますという「察してください」的なニュアンスを醸し出すために使われる。

会話中の文章を「だ」「である」「です」「ます」で終えると、断定的過ぎて取り付く島がないと感じる人が多いために、発話する人も断定感をやわらげる目的で、ほとんど無意識に使用されていると思われる。

類似表現として「ていう自分がいる」がある。

ちなみに、時々翻訳をやるのだが、この実に口語的な表現を外国語に訳せと言われると非常に困る。

言ってることは変わってないんだけど、なんとなく他者に投げたような、第三者視点に託したような曖昧な「ニュアンス」の表現だ。

通常は省略、あるいは英語だったら単に "be" でいいんだけど、このなんとも言えないぬめっとした表現は、なかなか外国語に翻訳しづらい。

 

というわけで、日本語の新しい使い方について注目してみた。

こういのが浮かんでは消えてを繰り返して、次の時代の日本語ができる。

逆に言うと、こういうのがあるおかげで、数百年、千年と経つうちに言語はそれぞれある意味で異なった存在になっていく、ともいえる。

もちろんこういう新しい使い方が刹那的に表れては消える現象は、どの言語でも起きる。

それが言語の面白いところでもあり、また厄介なところでもある。

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