音楽

ステージとフロアのゆるやかな合意


ライブ会場には、ステージ側の人間とフロアの人間がいる。

まあ、本当は他にも沢山いるんだが、今回はこの二つの話。

ステージ上の演目が始まると、ステージに出てくる人間をフロア側が興奮と歓喜で出迎える。

そこには意思と期待と確信がある。

良いステージを展開して、そこにいるオーディエンスを楽しませようという意思。

良いものをやってくれるだろうという期待。

それはほとんど確信と言っていいほどに強くオーディエンスの胸の中に存在している。

目に見えない両者の思惑は過去に存在したものによって作られる。

以前のライブの体験、発売された音源を聴いたこと、ネットやメディアの評判を見聞きしたこと。

両者に共通するものには楽曲がある。

良いと思う曲を作りそれを録音し実演するステージ側と彼らが作った曲を良いと思いそれをライブ空間で楽しみに来たオーディエンス。

楽曲こそが両者をつないでいる。

だがそこに合意するための明確な基準があるわけではない。

「良い」は人それぞれにとって異なるからだ。

ボーカルの声、歌詞、ギターのフレーズ、音色、あるいは曲全体。

どれか一つ、又は複数を良いと思えば、その曲を良いと思ったことになる。

そしてその強さも問われない。

人生を曲げるほど良いと思う人もいるし、数ある「良い」の一つである人もいる。

両者の合意とはそれほど緩やかなものでしかない。

合意があることを証明する具体的なモノは存在せず、ただ現象があるだけだ。

時間と費用をかけてライブを開催するステージ側と、別の時間と費用をかけて会場に参集したオーディエンス。

両者がそこに集った。ただその現象しかその合意を証明するものはなく、それも数時間のうちに跡形もなく消えてなくなる。

その合意の結実が両者の胸に強く強く刻まれても、それそのものを持ち帰るどころか持ち出すこともできない。

ただ記憶に留めることができるだけだ。

ライブのステージというのは、そういう儚いものだ。

短いものなら30-40分、メジャーの壮大な規模のものでも2‐3時間がせいぜいだ。

夢の国の滞在時間はそれほどに短い。

だがそこに価値を見出す人がいる。双方に確実にいる。

もちろん、音楽の価値はステージにだけあるのではない。

けれど、ステージにしかないものもある。

ステージからしか見えない景色、フロアからしか見えない景色。

その日その会場に居なければ感じなかったこと、そのライブのために引き起こされた、あるいはそのライブが引き起こした事象。

様々なものが時間とともに記憶へと収束していく。

ファンはもちろん、バンドも永遠ではない。

音楽を作っていた側の人間でさえ、時とともに音楽から離れていくこともある。

その日、その会場、その時のバンドの状態、その日来場した個々のファン。

同じものが二度できることは無い。同じ両者が同じように合意している状況は二度は作れない。

だが、だからこそそのステージに価値がある。

人生においてほんの一瞬、楽曲を通じて合意した両者がそれぞれの楽しみを得る。

言葉にすればたかだかそれだけのことだ。だがそこにこそライブの意味と価値がある。

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