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世界は言語でできている


早期英語教育というのがはやりつつあるらしい。小学校の段階から英語教育をしようっていうやつね。

下手したら小学校低学年からや幼稚園からと言う人もいるほどらしい。

これについての個人的な立場としては、やめろとは言わんけど他にやることあるんじゃないの?というもの。

なぜかというと、日本の社会って日本語でできてるんだよね。

だから、我々が学習するのはあくまで「外国語としての英語」。

日本にいながらにして英語メインで暮らそうというのには無理がある。少なくとも現状では。

子供のころから英語を母国語にさせたいと言うなら、アメリカやイギリスに引っ越した方がよほど効果的だし確実だ。

日本で日本人として暮らすからには、どうしたって日本語が母国語だし、英語は外国語にしかならない。

なぜかと言うと、言語はツールであると同時に、発想を形にしたものだから。

日本にいる日本人の発想を体系化したのが日本語なので、それを使う日本の社会は日本語の発想でできている。

だから日本では日本語で考えて日本語を使って生きるのが最も自然だし、他の国ではその土地の言葉で暮らすのが一番自然だ。

アフリカの旧植民地国なんかでは、近代化に伴う言語の平均化が行われる前に欧州が植民地にして彼らの言語を封じ込めてしまったので、国内に階層ができてしまっている。

1.出身地の言葉、2.地域(部族)の支配的言葉、3.現地化された宗主国の言葉、4.宗主国の本来の言語という構造だ。宗主国の言葉というのはフランス語や英語のことだ。

1と2は通じる場合もあるが、特に2と3の間に大きな壁がある。

3以上を使えるかどうかで高等教育を受けられるかどうかが変わる。大学に行きたいが試験がフランス語なのでフランス語を学ばないといけない、みたいな状況だ。

そうすると当然3以上に行けるかどうかで収入も大きく変わるし、暮らし方に伴う発想も変わる。

日本が明治維新を経て急速な近代化に成功したのは、識字率の高さと均質な言語があったと言われている。

明治維新が下級武士によって起こされ、彼らがそのまま元勲になってしまったのもあるし、日本でも人為的な言語の平均化(共通語の作成)は行われたが、もともとの言語が均質的だったという点は大きい。

つまりアフリカでのような言語による階層化がなされなかったためと言える。

日本に日本語ペラペラの外国人留学生がいるが、彼らの中には日本語ができるかどうかで収入が数倍になるような状況の人もいる。

だから彼らは外国語習得についての気合が違う。

日本人だって、英語ができたら収入が三倍になると言われたら死ぬ気でやるでしょ。

でも幸いに日本ではそういうことをやる必要があまりない。

日本には確固たる文化があるし、高校くらいは出たけれど日本から出ないと国全体が貧困で家族を養えないということもない。

英語もいいけど日本語もね

とはいえこのグローバル化の昨今、abcも読めないってんじゃなかなか厳しいものがある。

別に英語教育をするなと言ってるんじゃないんだけど、早すぎる外国語教育は子供の言語感覚をゆがめるんじゃないの?っていうのと、英語教育やるならその二倍日本語の教育もしないとね、とは言いたい。

英語を学ぶということは、英語を使う人の発想を取り入れるということでもある。

言語は、発想の具現化という一面もあるが、結局ただの道具でもある。

要は、その言葉を話せるかよりも、その言葉を使って何をするかの方がより重要なわけだ。

外国語として英語を学ぶ我々は、どうしたって日本語の発想から逃れられない。

もちろん訓練を重ねて英語で発想して英語で行動する人もいるけれど、その数は多くないし、そもそも日本語で発想して日本語を話す日本人の方が圧倒的に多い。

ということは、我々が目指すべきなのは、英語は使えるけど中身がペラい何人でもない人ではなく、英語「も」使えるちゃんとした日本人だろう。

グローバル化が進むほどローカルな気質を保持しているかどうかということの重要性が高まる。これは言葉遊びじゃない。

International は Inter + nation なわけで、つまり国家間相互のという意味だ。

英語が話せる無国籍人より、英語も話せる日本人を養成する方が、国全体としては理にかなっている。

英語はできるけど話す中身がないというのでは、逆に苦労することになる。

使う言葉はつたなくても良いから、知識と教養に基づいたことを言う人の方に、人々はより耳を傾けるだろう。

外国語は器に過ぎない。その中にどんな中身を入れるか、持っているかということの方がより重要だ。

話す元ネタがなければ学んだはずの外国語だって機能しないのだ。

だから、小学校あたりでは、日本語の物語を沢山読んだり聞いたりして様々な素養を子供の器の中に放り込んだ方が、後々活きてくるだろう。

まあ、文科省の英語教育を受けても英語使えるようにならないとかいうのもあるけど、それはまた別の話。

なので、英語教育をするなら、その二倍日本語の教育にも力を入れないと、バランスの悪い人間、何人でもない人間を作ることになってしまうんじゃないの?という話。

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