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反言葉狩り


いつの間にか沢山の言葉が放送自粛(禁止)用語になったり、言ってはいけない言葉になったりしている。

乞食、○○屋、気違い、めくら、などなど。

乞食をホームレスと言い換えたらなんか実態が変わるのだろうか。

そりゃあ言葉の持つ雰囲気は変わるかもしれないけど、それはそれを使う乞食でない側の話だ。

さらに言えば、言葉をから意味を奪おうという動きもある。

子供を子どもと書いたり、障害を障がいと書いたりする。

「ども」が差別的だとか言う理由らしいんだけど、実に浅はかな理由だ。

「こじき」がダメならその元である「こつじき」(字は乞食)はいいのか?物乞いなら、浮浪民なら、浮薄の徒ならいいのか?山窩(さんか)はどうなんだ?という話にもなる。

○○屋がダメで○○店はいいらしい。八百屋がダメで青果店はいいんだとか。

じゃあ歌舞伎の「中村屋」みたいな合いの手はどうなんだ?歌舞伎の映像でそこだけピー入れるのか?

今の感覚だけで過去を断じる愚行

この手の言葉狩りの特徴として、

・発想が一面的
・現在が最も進歩的という考えによる

が挙げられる。

言葉は人間と相互に影響を与え合うものであって、人間は考えを言葉にし、言葉がまた別の人間の考えに影響を及ぼす。

人間の行動の積み重ねが歴史であるならば、言葉もまた歴史なのだ。

それを、今の人間がどう思うかという一点だけで恣意的に捨て去って良いのかという畏れと疑い深さが、この種の言葉狩りをする人には全くない。

もちろん、言葉は生き物なので、時代によって新しく生まれる言葉もあれば、使われなくなって死語になるものもある。

文法だって発音だって変わっていく。

ただ、それは人々の生活に根差したものから発生するのであって、過去は劣っていて今の我々が優れているのだという誤認からやるようなものではない。

海外のポリコレとかもそうだし、命を「いのち」と書いたり暮らしを「くらし」と書いたりして喜ぶような連中がいるが、はっきり言って非常に気持ち悪い。

浅薄な発想で言葉狩りをしたり、漢字を平仮名にしたらより良い社会がおとずれるようなことを思っているとしたら、それは大きな誤解だ。

それはただの自傷行為だし、知性が退化してそれを喜ぶという全く狂った行動でしかない。

人類の歴史と英知の蓄積に対する冒涜だ。

言葉にはそれぞれ意味がある。

どの言葉をどう使うかというのは、歴史に対する問いかけでもある。

もちろん、どう考えても使用し続けるのが不合理だというのであれば、それは死語になるだろう。

ただし、それが存在した歴史までタブーにして封じ込めることは、非合理的な行動だ。

我々は日々より良い生活、より多くの人がより幸福になるような社会を目指している。

その中では、どうしても切り捨てねばならないものもあるし、取捨選択の結果採用しないものもある。

結果、優れたものが生み出されることもあれば、優れてはいるが使用頻度が減って失われるものもある。

だが、言葉狩りは違う。

言葉狩りは歴史や伝統を棄損するし、過去を封じ込めてなかったことにする。

それによって我々は過去を失う。

過去を失うことは、未来への目標を失うということでもある。

歴史と伝統を故意に捨て去ろうとした共産主義が世界中どこでも成功せずわずか100年を経ずして滅びようとしていることを見てもそれは明らかだ。

個々の人間一人々々が生きていること自体が既に歴史の一ページなわけで、現在は過去と未来の中間の一瞬でしかない。

そこに考えをいたさずして、一部の狂った考えの人が考える傷つく人がいるからとか差別的だからという浅はかな理由から言葉を手放してしまうことは、自ら滅びの道に向かっているとしか思えない。

言葉には意味がある。その意味はある日突然できるわけじゃない。

過去の蓄積の上にその言葉があるのだ。その意味が分からない人は、そもそも言葉狩りなんてやってはいけない。

...のだが、そういう人ほど言葉狩りをやりたがるんだよな~。

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