文化

干支の話


明けましておめでとうございます。今年一年皆様にとって良き年でありますように。

さて、今年は干支で言うと子年。ねずみの年ですな。

干支(えと)というのは、一般的には年に12種類の動物を割り当て、今年は子丑寅卯辰巳馬未申鳥戌亥とするもの、となっている。

十二支の由来となる昔話でネズミが猫をだまして排除して牛の頭に乗って神様のもとに行き、十二支の先頭を勝ち取った話は有名...だと思うんだが、どうだろう?

そして、十二支は正確には十干十二支(じゅっかんじゅうにし/じっかんじゅうにし)と言って、さっきの子丑寅...の十二支にさらに十種類の甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の十干を組み合わせて、60年周期のサイクルを表す。

この十干十二支で言うと、今年は庚子(かのえ・ね)。

十干十二支を干支と言って子丑寅の干支と区別したり、干支と言ったら子丑寅の方と十干十二支と両方含む場合もあったりする。

で、年の十干十二支とは別に、日ごとに十干十二支が決まっているので、カレンダーによってはそれを記載しているものもある。

この十干十二支は歴史にはよく出てくる。

壬申の乱(壬申=みずのえ・さる、672年)、甲午農民戦争(甲午=きのえ・うま、1894年)、戊辰戦争(戊辰=つちのえ・たつ、1868年-1869年、1868(慶応4)年が戊辰)など。

他にも、甲子園球場や新選組の伊藤甲子太郎(かしたろう)の甲子は「きのえ・ね」だったりとか。

ちなみに十干十二支だから10×12で120じゃないの?と思うんだが、干ひとつに十二支が対応しているわけじゃなくて、一つずつ順番に組み合わせていくので、最小公倍数の60になるんだな。

まあこのへんは十干十二支の一覧をググってもらってみてもらう方が早いかな。

十干十二支のメリットと太陰暦

で、この十干十二支がわかることのメリットとして、明治以前の暦がわかりやすいという点がある。

そもそも、日本の建国の日が記されている日本書紀には以下のように書いてある。

■辛酉年春正月庚辰朔、天皇即帝位於橿原宮、是歲為天皇元年
・辛酉の年の春正月の庚辰朔に、天皇が橿原宮において帝位に就いた。この年を天皇元年となす。(意訳)

この辛酉(かのととり、しんゆう)の年が西暦に直すと紀元前660年、春正月(立春)に最も近い庚辰朔の日は今の暦で言うと2月11日という換算になる。

ちなみに、朔(さく)は月の一日(ついたち)のこと。朔と書いてついたちと読むこともある。

太陰暦では朔日は必ず新月で夜は真っ暗だ。

で、日本で太陰暦から太陽暦に変わったのは明治5年なわけで、てことはそれまでは毎月必ず30日までで一年は360日だったし、閏日どころか時々閏月が入って一年が390日になったりしたし、ついでに日曜日という概念も無かったし、色々違った。

余談だが、明治政府は明治元年から明治9までは、四日働いて一日休む四勤一休の体制だったらしい。月の一日と六日が必ず休みになるので、これを一六日(いちろくび)と言ったそうな。

今の五勤二休よりこっちの方が良さそうなんだが(笑)。それはさておき。

江戸時代までは暦は寺社勢力の利権で、年ごとにカレンダーが寺などで販売されていたらしい。その暦は天皇、というか宮中が決めていたわけだが。

その頃は、今みたいに通年で1269年とか1815年という言い方が無いので、元号と十干十二支の組み合わせで人々は年を把握していたんだな。

あるいは江戸時代だったら将軍○○公の御代、みたいな言い方や、地域の為政者、有力者で先代の御館様の時代には、という感じ。

まあ、生活環境としてそんなに何百年単位で物事を振り返る必要性が無かったせいもあるかもしれない。

そんなわけで、今年は子年ですよっていう話。

干支に関しては、調べていくと面白い話も沢山あるし、陰陽五行説や支那大陸の文化やら話が無限に広がるので、興味のある人はググってみると良いでしょう。沼かもしれないが。

ついでに言うと、干支の話になった時に、今年は子年というと当たり前なので「庚子(かのえ・ね)ですね」と言うと、年が上の人ほど喜ばれる可能性が上がるので、商談なんかには使えるかもしれませんぞ(笑)。

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