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責任を問われるべきなのは誰なのか

2020/01/18


一時期、いわゆる「ゆとり教育」を受けた学生を揶揄して「これだからゆとりは」みたいな表現が横行したことがあった。

でもそれって、当の「ゆとり世代」には責任が無いんだよね。

なぜなら、ゆとり教育は学生が要求して勝ち取ったものでもはないから。

彼らはよかれと思って学校で勉強して、社会に出てから「円周率は3と習いました」と言うとなんやかんやと言われるという、むしろ被害者と言ってもよい存在だ。

じゃあその「これだからゆとりは」を作り出したのは誰かと言えば、その当時の大人世代なわけで、むしろ「これだからゆとり教育推進者は」と言われないといけないだろう。

非ゆとり世代は「円周率が3だとまずいことくらいちょっと数学やればわかりそうなものだ」と言いたいかもしれない。

だが、自分が社会人になったばかりの頃に、学生時代の経験以外に頼れるものを持っていたかと言われて、いったいどれだけの人が「私はこれを持っていた」と胸を張って言えるだろうか。

同様に、若者の〇〇離れとか草食化とか言われる。

結婚しない、金使わない、遊ばない、海外旅行に行かない、車買わない、挙げればキリがない。

今の60、70代あたりの人と話していて良く思うことだが、彼らと就職氷河期世代以降の我々とは金銭感覚が本当に異なる。

給料は増えるもんだし、会社に勤めていればいずれ報われる、みたいなことを簡単に言う。

一面ではそうとも言えるが、バブル崩壊以降の経済状況を見ていると、それだけを頼りに生きるわけにはいかないのが実情だ。

日本では20年以上「デフレ不況」が続き、所得は増えず企業はブラック化する状況が続いた。

若者の○○離れとは言うが、おれに言わせれば離れて行ったのは金や車の方で、若者は置き去りになっただけだ。

高度経済成長期やバブル期のような所得の増大が数年単位で見込める場合には、ローンを組んででも消費した方が得だ。

物価が上がれば過去の負債は相対的に縮小するからだ。

ところが所得が伸びないデフレ状況では今手元にある金銭を確保することが経済的に合理的な行動だ。

今手元に1万円があって、とある商品の値段が1万円だとする。

物価が下がるデフレ状況では来年には同じ商品が9900円になっている。

今年買うより来年買った方が得なわけだ。もしかしたら再来年の方がもっと得するかもしれない。

という具合に人々は消費を抑えていく。

そうは言っても企業の業績が伸びない中では従業員の所得が増えるわけもない。

手当カット、ボーナスカットから始まり、経営体力のない企業から賃金カット、雇用カット(リストラ)をする。

賃金が減るならまだしも、雇用が失われるかもしれない危機感が蔓延する状況になる。

こういう中では、現役世代は消費を抑えるし、家から出なくなるし、まして海外旅行なんて考えもしなくなる。

一方、退職した世代で住宅ローンを払い終わってもなおひと財産ある人達は、物価が下がっていくので資産価値が勝手に増えていくという状況だ。

子育てもローンの支払いも終わり、生活に金がかからなくなり、老後のためにため込んだ預貯金は額面は増えなくても、デフレ下ではその価値は徐々に高まっていく。

なにしろ、1万円の商品が翌年には9900円になるのだ。既に確保している資産から1万円出す場合、今年はおつりが出ないが来年にはおつりが出る。

ある意味逃げ切り世代と言えるだろう。

こういう世代とバブル崩壊以降の世代には経済観念に大きな違いがある。

もちろん、ただの世代による認識の違いということもできるが、社会自体の動きから受ける影響が全く異なることによる。

いわゆる団塊の世代あたりの人は生まれた時は終戦直後で物質的な豊かさもなかったが、その後の高度経済成長、バブルと経済は右肩上がりに上がって行った。

雇用も一度就職してしまえばそう簡単にクビになることはなく、一定程度以上の規模の企業に勤めることができれば、家を買って車を所有し子供を育ててもなお退職時には一定金額の預貯金を確保することができた。

社会が成長、高度化していく見込みがあったし、実際それに伴って様々な(特に物質的な)恩恵を受けてきた。

一方、バブル崩壊以降の世代は、まず雇用が安定していない。競争は激化し、自分の勤め先がいつ潰れるかわからない状況だ。

給料も上がるとは限らない。下がらなければ御の字という時期が長く続いた。

確かに若者世代は物質的には相当恵まれている。インターネットも携帯、スマホもある。

が、生まれた時から存在したものはあまりありがたいとは思わないものだ。

物質的な豊かさの何に希望や前向きな感情を見出すかと言えば、新しく生まれたもの、あるいはもうすぐ生まれるであろうものだ。

旧世代にとっては、家電の三種の神器であり、自動車であり、マイホームだった。

若者世代にそれがあるだろうか。

旧世代はよく世の中金だけじゃないよと言うのだが、それは金に余裕のある人のセリフだということを自覚していない人が多い。

金が無い人間にとっては、生活費の確保が最も大きな行動の目的となる。

要は、お互いに経済的に合理的に行動していただけなのだ。

旧世代は経済が拡大しマイルドなインフレが続いていくという見込みがあるから、多少無理めのローンを組んでもモノを買った。

今100万円借金しても給料が増え、物価が上がればその負担感は減っていく。なんなら返済を前倒して完了できたりもした。

若者世代は、給与が増える見込みもなければ雇用が継続していく保証もない、さらに物価が下がるので今確保できる金銭を最大化する。

つまり金を使わなくなる。消費を避けるようになる。消費を悪とすら考えているかもしれない。

若者世代では今100万円借金をすると、来年の負担感は増えるものなのだ。

そういった旧世代が「若者の○○離れ」と言ったところで、若者世代には届かない。

そもそも、若者が消費を避けるような社会を作り出したのは、彼らより上の世代ではないか、というわけだ。

政治、経済への無関心、徹底した個人主義、要因は様々あるだろう。

今のように情報を簡単に入手・発信できなかったし、個人が何もしないでもなんだかんだ社会が運営されていたという面もあるので、一般の個人を責めてもあまり意味はないかもしれない。

しかし、現象、結果として今の状況が作り出されたことは事実だ。

で、ここまでこんなことを書いておきながら、世代間の分断を煽りたいわけでは実はないのだ。

どうしたら、生まれてこの方景気が良かった試しがない若者世代が景気の恩恵を受けられるようになるのか、が重要だ。

本来若い世代はエネルギーに満ちており、やりたいことが沢山あるはずだ。

休日は家でネット化スマホのゲームをやって消費しないのは、それが選択肢の中ではまだマシ、得をする選択だからだ。

若者が休日に外出して消費することが良いことだ、得して楽しい気分になるものだと感じるような社会にしないといけない。

じゃあ、若者のために高齢者で今まで得をした一定以上の所得や資産がある人にはそれを吐き出してもらわないとね、みたいな政策があってもいい。

なにしろ20年以上デフレ不況が続いたという世界でもまれな経済失政を継続してしまったのが我が国だ。

それを良い状態に戻して維持しようというのだから、膨大なエネルギーがいるだろう。

それでも、こないだ成人式を迎えたような人たちには、社会人になったら「給料出て仕事も生活も楽しいっす」と言って欲しいし、一方のジジババには「最近の若者は覇気が無い」みたいなことを言ってほしくない。

つまりは景気がよくなればこの両者へのおれの希望は同時に解決される。

てところで、こないだ消費税上げたんだよね~...っていう。

なかなか日本の景気の夜明けは、もうしばらくかかりそうだな~と思わざるをえない。

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