社会

情報の取捨選択


21世紀(とおそらくそれ以降ずっと)が前世紀と大きく違う点はやっぱこれだよなという話。

<過去記事>
■病気「かもしれない」人は拘束できない
(2020/01/30)

昨日、新型肺炎についての記事を書いたわけだけど、あれはその時点で確認できる公開情報を基にしたものだ。

だから、それが過小だったことが後に明らかになった場合には、それは誤りとなる。

同時に、未知の病気のため変異して感染率や死亡率が上昇した場合にも、インフルと同様の対処でいいのでは?という判断が誤りとなる。

特に、危機管理という点においては、現在の中国からの入国者が通常通り行われている状況が放置されているわけだが、変異して爆発的感染になった場合に、誤った対応だったと言われることになる。

状況は日々変化しているし、情報も錯綜している。

国ごとに対応も異なるのはそれぞれの国柄と国情(特に距離的な問題)もあるだろう。

しかも、中国と日本では公衆衛生の考え方が全然違う。日本社会の方が圧倒的に清潔なため、それだけ状況が変わる可能性がある。

ぶっちゃけこのへん、何が正しいのかは独自に取材しているわけでもない個人では判断がつかない。

「現状、公式情報を元にするとこう判断するのが妥当」と考えるのと、「将来的にそれがずっと続く」ことは直結しないからだ。

さらには、この件に対応することと、それを含む同様の事態に対応することは、必ずしも一致しないかもしれない。

つまり、中国初の新型コロナウイルスの流行に対応することと、未知の病気のパンデミックを防ぐこと、この二つが必ずしもイコールでないかもしれないし、イコールかもしれない。

そこは、起こってみないと、あるいは事後になってみないとわからない。

何が違うかと言うと、前者は今現在起こっている状況への個別具体的な対応で、後者はこれから起こりうるであろう事態への予防措置の構築だからだ。

前者は医療機関と厚労省がメインになるだろうし、後者は首相以下内閣と政治家がメインとなる仕事だろう。

情報をどこから取るか

じゃあ、我々個人がどこから情報を仕入れ、何を元に判断し、対応するかということだが、まあ現在はネットが主流だろう。

特にこういった1日ごと、数時間ごとに状況が変わるような事態については、紙媒体では追い付けない。

で、そのネットの情報だが、当たり前だが玉石混交だ。特にSNSでは個人の思い込みが同様の思い込みを持つ人によって拡散されることがある。(それが正しいかどうかに関わらず)

そうした中で、メディアのネット媒体は一定の有効性があると考える。

特に政治的な思惑が絡まない今回のような医療問題の場合には、専門医と言われる人の発信を参考にすることができる。

しかし、今回の事態の中心地が中国だ。GDPの統計が信用できないと言われている国の発信を、真に受けることができない。

同様に、専門医と呼ばれる人の発信でも内容が異なる場合がある。

その場合はどうするかと言うと、「鵜呑みにしない」ということが大事だ。

そして、「わからない中で取りうる体制」をとっていくしかない。

他人の言うことを鵜呑みにして後で間違っていたことが判明したら「でたらめ言いやがって!」と腹が立つが、自分で決めたことが後で過大だったことがわかっても「まあ何も起こらなくてよかった」となるだけだ。

だから、想定よりちょっと多めの予防をしておくことが良いのではないかと今現在のおれとしては思うのだが、これだって鵜呑みにしてはいけない。

最後は自分

要はというか、結局はというか、判断してどう動くのかを決めるのは自分だということだ。

だからそれができないから困ってんじゃん!となるわけだが、それはもう仕方がない。あることの専門家でも別のことについては素人だからだ。

であればこそ、必要な情報を集め適当と思われる判断をする、このことの重大性がわかるだろう。

しかし、悲しいかな人間はそう思いたいことを信じ、そうであって欲しいという願望に沿うような情報を集めてしまう。

さらには正常化バイアスと言って、何事もない今日が明日も続くし、何かが起きてもそう大したことではないだろう、自分には降りかからないだろうと考えがちだ。

その誘惑を振り切ってより的確な判断ができるかどうか。これは普段から訓練しておくしかない。

それには順を追って論理的、段階的に物事を考える必要があるし、種々の情報の取捨選択にはその基準となる情報と知識が必要だ。

そういう日常からの蓄積がいざというときに生きてくる。

前世紀ではメディア報道が情報の取り入れ口であったわけだけど、それが無数にある今世紀では普段からの訓練が病気になるかどうか、経済的な損失を受けるかどうか、あるいは生死を分けることになるかもしれない。

あらゆる可能性があり、その分岐点はまさに我々の手の中にある。

そういう時代を我々は生きている。

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