社会 文化

儀式の重要性


子供の頃はただ単にめんどくさいなと思っていたことで、最近その重要性に気づくものがある。

学校では入学式、卒業式、離任式、始業式、終業式など儀式の目白押しだ。

学校を出てからは年を追うごとに冠婚葬祭に呼ばれる機会が増える。

特に身内の葬儀では、「葬儀をやったんだから」ということで精神的な区切りをつける効果があることが自身の経験をもって気づかされる。

それがその時にすぐに効果が感じられないとしても。

最近の新型肺炎の対策で多くの学校が突然休校になった。それに伴い年度末の関連儀式も中止になったり対象者のみの出席になったりした。

幼い児童の中には明日で突然学校が終わりになって休みが一ヶ月に増えると聞かされて驚いたり動揺したりする様子が報道されていた。

儀式をやることにはいささかの効果がある。

学校では、その学期を全うしてちゃんと次のステップに行くことを確認する意味合いがある。

大人になると年末と正月くらいしか明確に区切りをする機会がなくなる。

年度末、営業四半期を終えたと言っても、後日評価や考査があるだけで、その当日には特に変わりなくいつも通り業務が進む。

まあ、年度末だから区切りだからと飲みに行く人はいるかもしれないが。

冠婚葬祭の場合、特に葬儀の意味は大きい。

あの人はもう亡くなったのだと確認して心のどこかで納得する方向に持っていく効果がある。

冠婚葬祭の「冠」は現代では成人式だが、出なくても別に問題はない。というよりどちらかといえば同窓会的な意味が大きいかもしれない。

そういえば成人年齢が18歳になったけれど、成人式は20歳のままなのだろうか?

「婚」では、結婚式では身内での確認、披露宴では対外的な文字通りのお披露目、つまり「この二人が結婚しました」という告知の意味がある。

もしかしたら「この人は自分が捕まえたんだからもう手出しするなよ」という意味があるのかもしれないが(笑)。

祭は...自分の住んでいる地域ではあまり活発にやっていないし自分も参加していないので実体験としてわかっているわけではないのだが、夏の風物詩として認識している。

地方では収穫祭をやることで季節の区切りとしての意味があるのかもしれない。

よほどの変わり者でない限り、人間は常に集団の一部として生活している。

それが営む共同体の中では、一定程度の認識の共有があった方が物事が円滑に進むことが多い。

儀式を行うことで、その集団の中で物事に区切がついたことを共有し、ある意味で「それは済んだことなのだ」と認識する効果があるのだろうと思う。

もちろん儀式をやらなくても学期は終わるし、届けを出せば結婚したことになるし、葬式をやらないと死んでないことになるなんていうことはない。

ただ、それを他者と共有することによって、社会的な意味が生まれる。

共有された認識は個人から社会へと伝播し、その共同体全体の認識になる。

そうして、「じゃあその次へ行こう」という共有された意識が生まれる。

特に大人になってからやる儀式はお金もかかるし面倒だけれど、そんな風な効果があるんだろうと思う。

-社会, 文化

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。