余裕がない
コロナ禍の昨今、色々な社会の問題が改めて浮き彫りにされてきている。
マスメディアの問題、マイナンバーの使えなさの問題、政府・行政の融通の利かなさの問題、政府・自民党の対策の問題、まあ色々ある。
それらを総じて見渡して思うのは、社会に余裕が無いなあということ。
なんというか、まあむしろ当然の話でさ。
(諸説あるが)1996年にバブルが崩壊して、そこからずーっと不景気やってきた。25年というと一世代だ。
平成生まれ、令和生まれは、生まれてこの方、世の中が「景気が良い」という状況になったことがない。
物心ついた時から、周りは口を開けば「金が無い」「不景気だ」しか言わない。
そういう世の中で、人々はどうやって日々を暮らしているかと言えば、それぞれの基準に応じて取捨選択をし、節約をして生きている。
昭和の若者は、就職したら結婚して子供を作って家を建てることを考えるのが王道だった。
しかし、今の大卒新卒は違う。
就職先がブラック企業じゃないか心配し、そうでなくても近い将来潰れないかを考える。
貯金はするけど、彼らの親世代が築いた財産には及ぶべくもない。
同じことが、行政、企業(特に中小企業)、社会インフラについてもおこっている。
とりあえず現状維持できればOK、新しいことは金がかかるからやらない(出来ないとも言う)。
従業員はなるべく安く使いたい。そうでないと利益が出ない。
一部の企業は、現状打破を模索して設備投資や海外進出、新製品開発なんかをするが、必ず売れると目算が立つものしかやらない。
かつて、日本車が欧米を席巻し、ウォークマンが時代を変えたのは、ダメ元の商品開発ができたからではなかったか。
新商品を開発するのに、絶対に黒字にしないとクビが飛ぶ状況と、赤字にならなきゃいい、あるいは多少赤字でも今後につながる「かもしれない」からGOサインが出る状況では、出来るものも違ってくるだろう。
その差は何がもたらしていたかと言えば、結局のところ「金」だ。
お金に余裕があれば「何か変なもの」を生み出せる。厳密に言えば、変なもの、妙なものですら市場に存在できる。それはつまり消費者にも余裕があって、彼らが買うからだ。
(総括的に見た)社会からその余裕が失われて久しい。
若者の○○離れと言われるが、おれに言わせれば、離れていったのは○○の方で、若者に罪はない。
若者にはやりたいことが沢山ある。しかし、とりあえず働いて家賃を払って死なない程度の生活をして、そして来月も働かねばならない。
そこに余計なものを買っている余力は無い。あるいはとても少ない。
そういうカツカツな社会に降りかかったのが、今度のコロナ禍だ。
ただでさえ大して余裕が無いところに、家から出るな、仕事は家でやれ、店は閉めろ、みたいなこと言われたら、そりゃあコロナ以外の面でも不安を感じる人が沢山いても仕方がない。
社会に(お金の)余裕が無いことは、技術の進歩を妨げる。
長期的には割安になることでも、初期投資に金を出せない。仕方がないので現状をやりくりして日々を送る。
それはIT化だったり、構造的な効率化だったり、最近で言えばキャッシュレス化だったりする。
多くの者は手間と費用をかければ、出来るようになっている。
ただ、それをもっと効率的に楽にできる方法が既にある。しかし、それを導入するためにはいくらかのお金がかかる。余裕が無いからそこに「投資」できない。
結果、古いシステム、構造が生き残り、今のような有事に迅速に対応できない。
いまだにFAXを送って手集計でデータ作ってたり、ハンコを目視で確認しているのがその代表例だ。
今時ウェブ上にシステムを作っておけば情報のやりとりはかなり出来るし、ハンコよりセキュアな身分証明はあるし、その人がやったことを証明する方法もある。
携帯キャリアなんかでは店頭での契約等の手続きの際に、タブレットに電子ペンでサインするようにしているが、ハンコと同等の効果を持つとしている。
こういうことがもっと社会に広まっているはずだった。社会に余裕があれば。つまり景気が良くなっていれば。
お金の余裕というのは、人の生き死ににさえ影響することもある。潰れなくていい企業が黒字倒産するかどうかの分かれ目になることもある。
行政のシステムがもっと効率化できるための予算があったかもしれず、ひいてはその原資となる税収がもっと上がっていたかもしれない。
そう考えると、この25年の不景気というのは本当に罪深い。
それを打破するためには、直接的には政治家、特に国会議員に考えを改めてもらうしかない。経済は自然現象ではなく、政策の手段と結果なのだ。
国会議員が考えを改めるためには、国民が変わらねばならない。
短期的にはコロナ禍を鎮めることがことが最優先であることはもちろんだけれど、中長期的には社会全体にはびこる停滞を取り除いていく必要がある。
そのためには、金が必要だ。
第二のコロナがやってきても今と同じことが起きないように、第二の東日本大震災が来ても人が沢山死なずに済むように。
他にもたくさんの災いが我々を打ちのめそうとするだろう。
それに打ち勝っていくためには、対策を立てそれを実行し、社会全体をより強靭にしなくてはいけない。
そのためにはやはり景気を良くすることが最初の一歩となる。